俺だって闘わずして勝ったことがあるわい/真の武道家、安田英治師範&山崎照朝師範

 

先ず、タイトルに先立って。

 

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ノッコちゃん(池田伸子アナ)、7連投じゃなく、平日担当3週間の誤りでした。ゴメンなさい!

むふ。でも『ニュース7』、一昨夜、昨夜とノッコちゃんとかなりん(中山果奈アナ)のWキャストでニュースを見る・聴くのにも熱が入ります。ただ青井アナが両手に花状態なことから青井アナをシバキたくなりますが。

 

 

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一昨日ブログを書いてから昨日の午前中まで私が喧嘩において「闘わずして勝ったことがある」過去を思い出して、神さんと話していました。昔のことを余り思い返さない、余り過去を振り返らない私ですから、思い出してみて、けっこうびっくりしました。社会人になってからでも、何と「闘わずして勝ったこと」が6回あったのです。

 

決して武勇伝ではないのですが、二つの事例を。

 

私が社会人になってからA社で、取締役経理部長と担当部長に可愛がられ、薄給の私を銀座の高級クラブ数軒に誘い、私名義でボトル・キープしてくれたことは前に何処かで書いた通りです。それで仕事のストレス解消やまた田舎者であった為、銀座で夜遊び(アフターでの遊びも含む)をしたことも記しました。

 

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どうした訳か私はママたちやお姉さんたちにモテてしまい、それが銀座遊びに拍車をかけました。まァ学生時代から付き合っていた恋人と破綻を来したせいもあるのですが。

それで或る夜に一軒の店で、深い仲になっていたホステスさんと飲んでいた時のこと。一目でヤクザと分かる男が店に怒鳴り込んできたのです。時は1990年。暴対法施行前でしたので、まだ昭和のヤクザ・ルックの「本職」も多かったのです。

そのヤクザのお目当てで、また怒りの相手はどうやらママと私に寄り添うホステスさん。私はそのママに誘われるがままにママとも深い仲になっていました。

(あ~あ、こんなヤクザと兄弟になっちまったのかよ・・・・・・)と私はうつむきました。

そうしたら、そのヤクザが長ドスを抜いて「サツに電話すんじゃねー!」とか大声を上げながら、私に寄り添っていたホステスさんを引き離そうとした時。そのホステスさんの身体が震えているのを私は感じていました。そして私は無言で木製のテーブルを右の肘打ちで真っ二つに折りました。するとヤクザはどんぐり眼(まなこ)になり硬直した後でその場から逃げ出しました。

ただね

 

右肘がイテェ~ッッ!!

 

その夜は余りの肘の痛さに私も帰り、翌朝になっても痛みがとれないことから強引に半休(午前中、休み)をとって整形外科へ。レントゲン検査等々の結果、骨にヒビは入っていませんでした。後日、その店に行ったら何と厚さ2.2センチのエゾマツだったとのこと、テーブルが。イタイ訳です・・・・・。

締まらないオチですみません。

 

次は神さんと結婚をした後のB社勤めの時。経理部主計課の同僚たちと新橋の居酒屋で飲んでいた時のこと。

通路越しに男たちの怒鳴り声がしたので、声の方を見ると、若い女性二人に見るからに大学の相撲部の連中とおぼしき五名が絡んでいたのです。私は大きなため息をついた後で

「あんちゃん、やめな」と言い、私たちのテーブルの上にあったビール瓶二本を左の裏拳で割りました。私は(大学の相撲部員五人かよ、勝てねーな。どうすっかな)と思いながら立ち上がり、「外ん出ろ」と言い、相撲部員五名と屋外に出た

のです

何と、その相撲部員五名、勢い逃げ出しました。

(はァ~助かった)と私。私は芦原英幸ではありませんから助かったのは私の方です。

締まらないオチですみません。

 

でも「闘わずして勝った」6回とも女性が荒くれ男に絡まれていたと言うもの。とんでもねーカスな男もいるものです。

 

 

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ここで「闘わずして勝った」つながりで、とんでもない真の武道家の逸話を。

 

私がB社で過重労働から二度目のうつ病を患い、ゲロゲロのゲロリンパだった時の秋。私が海外戦略室、北米担当の部下男子と恵比寿近くの小料理店で食べて、飲んで、仕事の話をしていた時のことです。何処かの会社の上司と部下女性と思われる女性の方がスジ者と思われる人間に因縁をつけられました。私が(しゃーねーな)と思い、そのスジ者を始末すべく立ち上がった時でした。

「やめな」と言う声がしたのです。声の主はカウンター席で一杯やっていたのです。スジ者がその声の主を睨みつけたら、その声の主の背中から物凄い殺気が。私は(何だ?)と思い、その人の背中を見ました。当然、そのスジ者もその物凄い殺気を感じ取り、無理矢理苦い顔をつくって店を出て行きました。

その後で、その人物が店主と会話をした時に横顔が見えました。

 

(安田英治師範!)と私はその物凄い殺気を放った人物が誰であるかが分かりました。

 

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大山道場で門下生の指導に当たる安田師範)

 

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(実業家の頃の安田師範)

 

安田英治師範。極真空手七段。少年時代に大山倍達が目白の自宅前で野天道場を開いた際に入門したとされ剛柔流を学びながら大山倍達のもとでも研鑽を重ね、学習院大学在学中に空手部に籍を置き(松濤会とされる/筆者注・松濤館とは異なる)、在学中に大山の依頼を受け、大山道場で師範代を務める。予告前蹴りの達人の異名を取り「前蹴り、行くぞ!」と言った後で前蹴りを放っても、誰一人かわすことが出来なかったとされる。浅草で刃物を手にしたヤクザ七名を叩きのめし、喧嘩十段の異名も持った。2013年没。

 

店主とにこやかに会話をしながら盃を口に運ぶ安田師範。

私は(あのヤクザ、命拾いしたな)と思いながら、頃合いだとなり勘定をすませ、部下と共に店を後にしました。

真の武道家だと私は思いました。

 

真の武道家つづきで、私が見ただけでしたが、また真の武道家だと思った方について。

 

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山崎照朝師範。極真会館黎明期に入門。何でもアリの組手で育ち、山崎師範の組手スタイルに影響を与えたのは指導を受けた石橋雅史師範と大山倍達館長。

「極真ジム」の看板を背負いキック・ボクシングも行い好成績を残す。極真空手、第一回全日本チャンピオン。前羽の構えや見事な蹴り技が代名詞。

 

私がさいたま市に住んでいた時に昼食を食べにカフェに入り、パスタを食べている時にただならぬ気配が店内の壁の方から。壁側を見ると私は(あっ!)となりました。

山崎照朝師範がコーヒーか何かを飲んでいたのです。しかし、ただコーヒーを飲んでいたのではなく、ソファに浅めに座り、右脚を外側に出し気味にし、いつでも戦闘可能な状態でいたのです。「いつでも戦闘可能」。私はソファに深く座っていたことを恥じ、山崎師範に倣いました。

そして店のウエイトレスさんに訊くと、山崎師範がこの店に来られた時は決まって壁側のテーブル席に座るとのこと。

(一対複数を想定しているのか!)と私は衝撃を覚えました。

前に書いたように私は高校生の時に一対五、一対六とかの喧嘩をかなりやっていたから分かるのですが、一対複数の場合、敵に背を取られたら危険。だから敵に背をとられないように決まって壁側のテーブル席に座っているのです。

(真の武道家だ・・・・・・)

私はそう思いました。

 

それ以来、私は山崎師範のその姿勢を真似、店内とかでは常に壁側に、そしてソファなら浅めに座り脚に余裕を持たせ、いつでも戦闘可能のつもりでいます。

 

最後に書いておくと山崎師範からは達人のオーラが発散されていました。

 

 

 

 

 

神さん・オレの前羽の構えはサマになっていない・ラブ。