1989(平成元)年まで日本ではローリング・ストーンズ、全く人気がなかった

 

一昨日、社会福祉事業所を回ってからオフィスに行った私。昼食時でスタッフ勢と従業員たちが昼食を食べながら会話をかわしていた。スタッフ勢の話の中心はエアロスミスさん。彼女が言った。

ローリング・ストーンズを聴いても面白くない、好きになれないって言うのは、ブルースを好きになれない、ブルースが嫌いって言うことなの。ほら、日本のロックってB'zもGLAYもX・JAPANもラルク・アン・シェルもブルースに無縁でしょ。B'zはさておき他の日本のロック・バンドって歌謡曲なのよ。だからブルースに無縁で日本の歌謡メロ満載のクイーンの『ボヘミアン・ラプソディ』が日本でも社会現象になったの。B'zもブルースに無縁なんだけど、B'zって何もないロック・ユニットなの。だからB'zはパクリのオンパレードにするしかない訳。今度、松本孝弘がブルースのアルバムを出すとか言う話を何かで見たけれども、しょーもないわよ、絶対に。

ともかく、ローリング・ストーンズレッド・ツェッペリンエアロスミスとかを聴いても面白くない、好きになれないって言うのは、ブルースが嫌い、ブルースになじめない、と言うことなの」

 

私は彼女の言葉を聞いて苦笑をしながら頷きつつ、椅子に座った。

 

そして私が思わず口を出してしまった。

「そのローリング・ストーンズ、1989年、平成元年まで日本では全く人気が無かったんだよね。一部にハードコアなファンを抱えていただけでさ」

そうしたらエアロスミスさんが

「ええっ!?」と、大声を。

 

そして私は日本でのローリング・ストーンズ事情を話した。

 

 

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ローリング・ストーンズ。言わずと知れた日本でも大人気のロック・バンド。

 

しかし、そのローリング・ストーンズ、1989(平成元)年まで日本では一部にハードコアなファンを抱えていただけで、全く人気が無かった。

私がロックを聴き始めた1977(昭和52)年の雑誌『ミュージック・ライフ』での人気投票では14位とかで、玄人が購読していた『プレイヤー』での人気投票でも10位に入らない有様だった。いや、『プレイヤー』では10位に一応入っていたかな? 忘れた。

私は翌1978(昭和53)年の夏休みに、アルバム『サム・ガールズ』を出し全米ツアーをストーンズが行っていることを

 

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雑誌で読んで知った。それで、その夏休みに、NHK・FMのラジオ番組『軽音楽をあなたに』でストーンズ特集が放送され、それを聴いた私は夏休みの終わりにストーンズの2枚組のベスト・アルバムと『ラブ・ユー・ライブ』を買って聴いて

 

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はまり、大ファンになった。

だが、私の中学校の同級生の者たちでストーンズのファンだったのは私の他にきんどーさん、Kくん、Sと言うていたらく。だが、同級生に私を除いて3人ものストーンズ・ファンがいると言うことは凄いことなのだと言うことを高校生になって知る。

随一の進学校に進学した私だが、ついぞ高3の終わりまで同級生でストーンズのファンは私だけだった。二番目の進学校に入ったKくんとSも、自分たち以外にストーンズ・ファンがいなかったと言う。名ばかりのどうでもいい進学校に入ったきんどーさんは「俺以外に一人しかいなかった」と言う状態。

 

高校1年の時、すなわち1981(昭和56)年、ストーンズがアルバム『タトゥー・ユー』を出し、1977年のレッド・ツェッペリンのUSツアーを上回る大規模な全米ツアーを行い(180万人動員)、このド田舎の地方紙にもストーンズ全米ツアースタートの記事が写真を載せて報じられ、当然ロック雑誌でも大々的に報道されていた。

 

だが、ローリング・ストーンズとは日本では知名度は高いものの、一部のコアなファンを除けば全く人気が無かった。

 

ここでデータを。

私がロックを聴き始めた小6の終わりに、海外のロック・バンド(ミュージシャン)で日本でアルバムをコンスタントに10万枚を売るのはレッド・ツェッペリン、クイーン、ピンク・フロイドエルトン・ジョンだけだったことを知った。ロックが市民権を得ていない当時、英米のロック・バンド(ミュージシャン)が10万枚を売るのは大変だったのだ。まァ、ビリー・ジョエルもロックとするなら翌、1978年にビリー・ジョエルも加わるが。

ところがクイーンも『ザ・ゲーム』から全く売れなくなったが割愛。

ところで、この10万枚という集計だが、アルバムが発売されて1年間内での集計。いくらストーンズがコアなファンにしか人気がないとは言え、名作『レット・イット・ブリード』『スティッキー・フィンガーズ』『ラブ・ユー・ライブ』とかは累計なら10万枚に達していただろうが。

 

そのローリング・ストーンズ、初めて日本で一気に10万枚のセールスを記録した。それは1985(昭和60)年発売の『ダーティー・ワーク』。

 

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実はこの10万枚のセールスにはこうした絡繰りがある。レコードのA面1曲目「ワン・ヒット・トゥ・ザ・ボディ」にジミー・ペイジが参加していて、同曲の間奏とエンディングでジミー・ペイジがギター・ソロを弾いている。それ。すなわち、ジミー・ペイジ・ファン、ZEPファンもズドッ! と買ったということ。

 

私の高校時代はと言うと、男のロック・ファンは80年代ハードロック・ギタリストに入れ込んで、ストーンズをして「あんな下手くそバンド、聴いてらんねー」状態。女子のロック・ファンは通ならジャパン(デヴィッド・シルビアンのいたバンドね)を聴いていたが、イギリスのニューロマンティクもの。あ、ポリスが人気があった、男女を問わず。

 

大学生になるとこれまた他の大学の者たちも含めてストーンズ・ファンは本当に少数派。マイノリティ。社会のゴミ・カス・チリ状態。多くの者が言った。「あんな下手くそバンド、聴いてらんねー」・・・・・・。

 

だから私は1973年にストーンズの来日公演が中止になったものの、日本武道館5夜連続公演が予定され、チケットを求める若者たちが渋谷で徹夜で並び、路上にたむろしていた話を聞くと、(何処にそんなにファンがいたんだ?)と思うのだ。

 

ところが1990(平成2)年のストーンズ初来日公演、東京ドーム10日間ライブで、激しいチケット争奪戦が展開され、どういうこっちゃどこにこんなにファンがいたんだうそだろーなんだそこのオバちゃんメタボってんなよダイエットしろそこのとっつぁんアタマのてっぺんハゲてるぞカッパハゲなんでこんなにファンがいたんださっぱり訳わかんねーストーンズファンってゴキブリかゴキブリなんだなよし分かったオレもゴキブリだゴキブリホイホイになんてつかまんねーぞ、状態。

私は東京ドームに10日間通ったのだが、何でもテレビのニュースで「ジュリー(沢田研二)がファンだって言うから来ましたー」と語ったオバちゃんたちがいたらしい。

私は全曲、サビの部分を大合唱したのだが、周囲を見るとサビで合唱を出来ない連中ばかり。大声で合唱している私は白い眼で見られた・・・・・・。それどころか、何の曲をやっているのかも知らないような連中ばかりだった・・・・・・。

 

そんなこんなで1990(平成2)年から日本ではストーンズが大人気バンドになった。

 

ローリング・ストーンズとは結局、長生きしたモンが勝ち、と言う徳川家康バンドだったんだなァ。

 

 

 

 

 

神さん・ホントあの1990年は訳わかんねー・ラブ。