日本のロック/尾崎豊&レベッカ~日本のロックの産業化

 

先ず最初に。のっけから何なのですが

 

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昨夜の池田ちゃん(池田伸子アナ)おめかしバッチリで神々しく、私は狼狽し、そんな私に向かって神さんは勝利のVサイン。何の勝利なんだ。あ、お茶の水女子大学か。

 

 

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今日は昨日の続き。日本のロック。

矢沢永吉甲斐バンドRCサクセションが大ブレークを果たし、市民権を得ておらず未開拓分野であった日本のロック・シーンを切り拓いてきたことを書いた。

 

ここで書いておきたいことに、上記の彼等が大活躍をした「裏側で」、フォークソングが一気に衰退した。フォークソングにはビートが無い。音楽とは例え歌モノではあってもビートがあった方が心地よいのである。だから、彼等の大活躍の反面で、ビートを有さないフォークソングが一気に衰退することは不可避であった。ところが、1990年代に入るや否や、そのフォークソングが「シンガーソングライター」と名称を変え、メジャー・コードを主体に福山雅治に代表される形で甦ってきたから奇妙なものだ。長渕剛は「おお~、順子、君の名を呼べば僕はさ~びし~よ~ ♪」と、それこそ女々しく歌っていたのだが、バブルの時代に演歌ロックに転身し見事に生き延びた。加えて長渕剛ビジンダー志穂美悦子をめとり

 

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だが国生さゆりと不倫を謳歌し、マリファナでとっ捕まり、真樹日佐夫先生

 

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にバーのトイレで土下座をさせられた。中島みゆきも長渕に近いものがある。浜田省吾はそれよりイチ早く、歌謡ロックに転身していた。アリスの谷村新司堀内孝雄は何と、演歌歌手になってしまった。

 

ここで話を戻して、同世代の人なら「何故、サザンオールスターズを外すのか?」と思うであろう。数年前に桑田佳祐が「歌謡曲、万歳!」と言ったように、サザンやソロでの桑田は紛れもなく歌謡曲であり、しょせん嘗てのグループ・サウンズの現代版でしかなかったから。

それはともかく、永ちゃん甲斐バンドRCサクセションの快進撃を見て、またフォークソングが一気に衰退し、その様子を業界人が見ていれば(これからはロックがメシの種になるのか?)と思うのが当然であった。業界人とはミュージシャンに寄生してメシを食っている。

 

そして【須藤晃プロデュースにより】尾崎豊がデビューをした。

 

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デビュー・アルバム『十七歳の地図』のリリースは1983年12月。私は雑誌で取り上げられていた尾崎のインタビューを興味深く読んで、同月に『十七歳の地図』を買って、聴いて、正直、ブッ飛んだ。

ここまで赤裸々に「十七歳」男子の心情表現を表した歌モノがそれまでに無かったからだ。しかも尾崎は私と同い年・同学年。ただ、私はふと思った。

(『十七歳の地図』、確かに傑作だが、これアルバムタイトル・ナンバーも「15の夜」も40歳になったら歌えねーぞ)と。

また(思春期後半で反抗期真っ盛りの曲はいい。でも、これって人生の一里塚に過ぎねーぞ。30歳になったら30歳の姿があるし、40歳なら40歳の姿がある。50歳になって「15の夜」を歌っていたら、ただのバカだぞ。だけど、それ以上に問題なのはデビュー・アルバムでこの完成度の高さなことだ。もう、尾崎、これ以上のアルバムを創れねーんじゃねーのか?)とも。

 

そして、翌年、尾崎豊、めでたく大ブレークを果たす。

 

ところが1985年1月に12inchシングルで発売された「卒業」を買って、聴いて、私は大きな目眩を覚えた。(ただ、社会に甘えているガキの姿じゃねーか)と思った。そして同年3月に出た『回帰線』を買って、聴いて、言葉の余りの洪水で音楽が成立していない楽曲群に唖然とすると同時にうんざりしてしまった。同年11月に三枚目のアルバム『壊れた扉から』を買って、聴いたが、前作よりは言葉を抑制させ、一応、音楽の体を成していたが、反面、何を言いたいのかがさっぱり分からない歌詞にうんざりし、私は尾崎豊を見限った。

 

それで、先に書いたように、私と尾崎豊は同い年・同学年だ。そして私は1985年の4月から東京で大学生活をスタートさせた。

すると、青学の高等部で尾崎と同級生だった者たち数名に会った。彼等の話によれば、尾崎の「高校中退」は決して尾崎の本意でなく、プロデューサー・須藤晃の意向によるものだと言う。要は須藤晃が尾崎豊に高3の終わりギリギリに中退をさせ、それを中心に大人社会への反抗をシンボライズとした『尾崎豊像』をつくり上げたと言うこと。

 

この1985年には尾崎豊ブームが生じ、全国で尾崎に憧れた男子高校生が高校を中退するという現象までが生じていた。その者たちは今、どうしているのであろうか。

 

(須藤晃の商品『尾崎豊』、いつまでもつのやら)と私は思った。

 

そして、曲を書けなくなった尾崎が覚醒剤で逮捕され、その後も曲をまともに書けない尾崎はボロボロで、再度、覚醒剤に手を出し1992年に肺水腫の為に死亡。

 

尾崎豊を殺したのは須藤晃なんだな。だが、早く死ねば伝説だ)と私は思った。

 

だが、この尾崎豊の成功も尾崎の存命中から「日本のロック」を産業化することに一役買った。

 

 

次に、レベッカ

 

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1985年10月末に書店の有線放送でレベッカの「フレンズ」を聴いた私は、大学生アルバイト女子の店員さんに尋ねて、レベッカというバンドと「フレンズ」という曲名を知った。レコード屋さんで「フレンズ」のシングルを買って、聴いた。

そのあざとい歌謡メロが土橋安騎夫の見事なアレンジ・センスで上手く昇華されていることに驚いたのはいいが、ドラムがジョン・ボーナムなのに笑った。凄いと思った。今の(当時のだが)ハイテクをもってすれば、あのボンゾのアンビエンス効果が出せるのだから。それにギターはモロにU2のエッジ(笑)。

いや、上記のことはともかく、これを聴いて、NOKKOの歌唱力以外にレベッカの楽器隊の上手さに驚いた。これには驚いた。

実は私はレベッカについて、後は「ロンリー・バタフライ」しか知らないのだ。レベッカ解散後にベスト盤のCDを買って聴いたのだが、その二曲以外記憶に残らない。

 

ただ、レベッカが1985年に大ブレークをし、その後、日本武道館6夜連続公演、横須賀港5万人ライブ、東京ドーム公演等々を行い、80年代後半のバンド・ブームも手伝って、私は「日本のロック」が急速に産業化されていくのを肌で実感していた。

 

けれども惜しいことにレベッカ解散後にギタリストやドラマー、ベーシストが表舞台に出られなくなってしまった。相当に上手かっただけに残念。

 

 

あと、「日本のロック」の産業化に一役買ったものとして、短期間での大成功に終わりながらもBOOWYがある。

 

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氷室のクセの強い歌謡メロのボーカルはさておき、布袋寅泰、カッティングの名手だと言われていたが、聴いてみると、大村憲司鈴木茂山下達郎等々に比べたら下手くそもいいとこだった。

それはともかく、BOOWY、解散後も氷室や布袋の活躍がありながらもカルト的大人気を誇り、今でもその人気の根強さには驚かされる。また、BOOWYについて言えば、かなり垢抜けていた。オシャレだった。それに好感をもった。好きになれなかったが。

 

 

要は、永ちゃん甲斐バンド(1986年早々に一旦解散/その後、見苦しくも何度も再結成をしている)、RCサクセション(RCは「日本のロック」の産業化をシカトし、最後までRCだった、お見事)が開拓した「日本のロック」の産業化を目論み、実行する業界人が多数現れ、日本のロックは、その原始性を奪われてしまった。それでも天才・忌野清志郎は死ぬまで良い意味でラディカルだった。

 

次回は、数年間、時代を遡るが「早すぎたロック・バンド」をいくつか取り上げたい。

 

 

 

 

 

神さん・昨夜の池田ちゃん、どうしたんだろう、胸がドキドキ・ラブ。