嗚呼、懐かしのNHK『ヤングミュージックショー』

 

私がビートルズ、キッス、クイーンでロックの扉を開いた1977(昭和52)年の春。

 

NHKが『ヤングミュージックショー』でキッスの初来日、日本武道館公演を放送してくれた。

 

 

このキッスの初来日はちょっとした社会現象になった。

それで、このキッスの『ヤングミュージックショー』、視聴率が良かったのか、後でファンになった人たちから再放送の嘆願書が殺到したのか分からないが、同年秋近くに再放送された。

もう団塊ジュニア世代より下の人たちは知らないであろうが、この1977年から1984(昭和59)年までは洋楽ロック・ミュージシャンの「動く姿」、すなわちライブの模様を拝める機会が滅法少なかった。だから我々ロック少年・少女たちはロック雑誌のグラビアを見ては、どんな動きをするのか想像するしかなかったのだ。

また、当時はロックが市民権を得ておらず、世間はロックを「サブカルチャー」扱いにし、さらには「ロックは不良が聴くもの」と大人たちから烙印を押されたものだ。現に、このキッスの初来日公演に対し東京の有名都立高校や私立高校は「コンサートに行ったら停学処分(か謹慎処分)を課す」と命じた。ベイ・シティ・ローラーズでさえがそうだった。

そんな時代だった。

だから来日した外タレ・ロック・バンドのライブ放送なんて、とても、とても。

しかし、何故かNHKは違った。メジャーなロック・バンドが来日しようものならば『ヤングミュージックショー』のスタッフがバンド側に撮影・録音、テレビ放送の許可を求めて頑張ってくれた。

そんなことから来日公演に行けず、歯がゆい思いをしていたロック少年・少女たちにとって『ヤングミュージックショー』は本当にありがたい番組だった。

 

このキッスの『ヤングミュージックショー』、私はテレビの前にかぶりついて見て、またラジカセで録音をした。良き思い出だ。

 

ただ、このキッスの初来日公演にはこうしたことがあった。

それはキッスのライブは本場、アメリカでは派手に巨大な爆竹を鳴らし上げたり、大きな火(炎だな)を使ったステージを売り物にしていたが、日本では消防署が「アカン」と言い、それらを大人しくしてライブを行ったという経緯(いきさつ)がある。しかし、翌年の再来日公演では巨大な爆竹と火の使用にも許可が下りた。でも、『ヤングミュージックショー』、キッス側から「アカン」と言われ、再来日公演の模様が放送されることが無かった。

尚、ジーン・シモンズは多数のグルーピー嬢の局部をポラロイド・カメラで撮るのを好む変態だが、ユダヤ人であるジーンとポール・スタンレーはドラッグを一切せず、アルコールもほどほどで見事なショーマンに徹し切った。

 

あと、上のキッスの動画で注目してほしいのは、お客さん。皆、椅子に座っているが、当時のロックのライブでは席を立つことが許されなかったの。

 

この1977年は、かなりメジャーなロック・バンドの来日公演が実現した年でもあった。1月のエアロスミスの初来日公演を皮切りに、多数の人気ロック・バンド/ミュージシャンが来日公演を行った。

 

次に、同年の何月に来日公演を行い、何月に『ヤングミュージックショー』で放送されたのかを忘れているが、フリートウッド・マック

 

 

1977年にアルバム『噂』がビルボードで31週連続1位を記録し、既に1,000万枚のモンスター・セールスをあげていたフリートウッド・マック

その前年にメンバー・チェンジを行い、無名だったスティーヴィー・ニックス(vo)とリンジー・バッキンガム(gu・vo)を迎え入れ、制作したアルバム『ファンタスティック・マック』が大ヒットし、一躍、大ブレイクを果たす。

ところが恋人同士であったスティーヴィーとリンジーの関係があっけなく破綻を来した。リンジーは最低な男だ。リンジーはスティーヴィーのヒモで、スティーヴィーがアルバイトを3つ、掛け持ちで行い食べていた。そして、二人にチャンスが巡ってきてフリートウッド・マック加入となる。そして、『ファンタスティック・マック』が大ヒット。リンジーはスティーヴィーを捨てて多数のグルーピー相手にヤリまくり。スティーヴィー、うつ病になる。そんなスティーヴィーにリンジーは「この薬をやってごらん。抗うつ剤以上に効果があるよ」とコカインを勧めた。そして、ティーヴィー、泥沼のコカイン中毒になる

ここで話が一旦それる。1970年代などクリーンでいるロック・ミュージシャンは少なく、ハード・ジャンキーでありながら税関をくぐり抜けて多数の人気ロック・バンドが来日公演を行えた理由。それはグルーピー。グルーピーの女性たちが横田基地横須賀基地から米兵横流しのコカインやヘロインを手に入れ、ミュージシャンに届け、ミュージシャンに気に入られベッドを共にすると言う具合。世の中、うまく回っているものだ。

それでフリートウッド・マックの初来日公演。グルーピー嬢たちからの差し入れのコカインをスティーヴィーを除く、リンジーや他のメンバーたちが占有し、哀れ、スティーヴィーは同伴させた医師からコカインを中和させる薬を服用するのみ。そんなスティーヴィー、ソングライターとしては優秀だったが元々歌が下手であったところに、上記の中和剤のみ。しんどくて、しんどくて、歌がもうボロボロ。そんなことから、スティーヴィーの歌、ボロボロの動画を載せられまへん。

 

 

しかし、リンジー・バッキンガム男としてはクズだが、ソングライターとして優秀で、ギター・プレイも良い。

尚、スティーヴィーとリンジー破局を迎えた直後にクリスティーン・マクビー&ジョン・マクビー夫婦も破局を迎えた。

フリートウッド・マックをして日本で「金妻バンド」と呼ばれる理由はこうしたことによる。

そのバンド内の人間模様を歌にし、制作したアルバムが『噂』。バンド内の人間模様まで商売にするってのが日本人の私には理解できんのやが、まァいいっしょ。

 

あとね、思い出深いのはレインボー。

二度目の来日公演の札幌ライブでファンが圧死すると言う出来事が生じたが、その後の武道館公演を『ヤングミュージックショー』が放送。今なら、いや少なくとも1990年代に入ったら放送禁止でしょう。時代が鷹揚だった。

私はリッチー・ブラックモアのギターが嫌いだったが、それでもトレモロ・アームを駆使し、ストラトキャスターを弾くリッチー、凄いと思った。

1978年2月だったと思う。でも、YouTubeに動画が無いのよ。

 

あと衝撃的だったのは1979年1月放送と記憶しているが、デヴィッド・ボウイのライブ。

 

 

ロック史上、稀有の天才、ボウイの才能の頂点の模様をオンエアしてくれたNHK、偉い!

これは衝撃的だったわ。

 

あとNHKは1980年から土曜日に『海外ウイークリー』という番組をスタートさせ、1981年の初冬に大規模な全米ツアーを行ったローリング・ストーンズの「ゴーイング・トゥ・ア・ゴーゴー」をオンエア。

1981年に我が家にもビデオデッキが導入され、ビデオテープが高かったものだから3倍モードで録って、バカみたいに何度も何度も見ていたのも良い思い出。

 

 

ところで幸田シャーミンさんと野中ともよさんって今、何してんだ? いいおバアちゃんだろうなー。

 

 

 

 

 

 

 

 

神さん・日本ではロックが市民権を得てからダメになった・ラブ。