私の空手修行・顛末記(1)~地獄を見る

 

弊ブログを継続してお読み下さっている方々は、私が何故1/10から突然に空手・格闘技について記しだしたか、謎に思われているかも知れません。

 

その理由ですが。去る1/7(火)に剣道さん、バレーボールさん、労務担当事務女子の三名が極真空手の道場に入門をしたそうで、翌1/8から弊社の女性スタッフ全員が極真の件でかしましい、かしましいからです。それで剣道さんから「ヒクソン・グレイシーって、そんなに強かったのですか?」と訊かれたことが発端になったのです。

 

剣道さん、ナリはもう

 

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『愛と誠』早乙女愛で、深窓の令嬢なのですが、剣道と居合いの猛者であることは、前に書いた通り。私の娘も剣道三段を有し、居合いも修めているものの、見ただけで剣道さん方が遙かに強く(全身、これバネ)、空手も剛柔流を小1から習っていて二段を有しています。まァ多分、剣道さんは二年で極真の黒帯を允許されると思います。

 

そんな剣道さんとバレーボールさん、労務担当女子の三名から昼休み、就業時間後に、私の空手修行の話をさせられました。三名とも興味深く話を聞いていました。

 

そうしたことから、私の空手修行・顛末記を記したいと思います。けど、要所・要所を押さえたものにします。でないと誰も読んでくれなくなりますから。たーだねー。凄くもったいない話もします。極真空手に興味がお有りの方・もたれていた方には、たまらない内容があります。

 

 

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それに先だって、私は小学生の頃から、友人のきんどーさん、Kくん、S、他二名と我流ながら空手の研究をしていました。顔面有りも想定して、みんなでボクシングの練習もしました。これはあしたのジョー

 

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の影響大なのですが。

それで例えば大山倍達が空手の動きにおいて「点を起点とし円を描く、線はそれに付随するものなり」と言ったことを知れば、我々五人はそれを研究。きんどーさんが「分かった! 円の動きで相手の死角を取るんだ!」と言えば、その練習に励むと言う具合。

でも、包茎・五人組、かなり練習をしたものです、我流ながら。

それでめでたく皮が剥けた中1の春も当然、中2まで五人で練習をしたものです。五人とも皆、真性包茎はおろか仮性包茎でもなかったのです。良かった、良かった。でも、五人とも皆、清らかな童貞でした。そして、皆、女の狡さ・したたかさをまだ知らなかったのです。

 

それで私が中3に進級する際の春休みに父から、やっとこさ空手をやることが許され、きんどーさんを誘って極真に入門したことは前に書いた通り。可哀想にKくん、Sとあとの二人は両親から許されなかったのです。空手は不良がするもの、と言う考えが根強かったのです、このド田舎では。いや、喧嘩ばっかりしているきんどーさんは不良だったかも知れません(私もか?)。また、ボクシングも不良がするもの、と言う風潮にありましたが、具志堅用高

 

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の大活躍・大人気もあり、ボクシングに対する偏見はかなり解消されました。ですが、空手はそうは行きませんでした。

 

ここで、また大山倍達を貶めることを書いてしまいます。書かざるを得ないのです。結果として悪口になってしまうのですが、書いていて気持ちのいいものではありません。極真のチャンピオンになった人で、私は佐藤勝昭東孝が大嫌いです(三瓶啓二松井章圭もだな)。でも、悪口は書いていて気持ちが悪いことから書きません。けど、大山倍達このことを書かないと話が前に進まないのです。

 

元々、我が県では「極真同好会」の様なものがあり、その中心人物が白帯ながらたまに池袋の本部に稽古に出向いていました。ですが、その者、白帯なのに「同好会」の人数がそれ相応になった為に、大山倍達から何と支部長を命ぜられ、同時に黒帯も許されたのです。

滅茶苦茶

こんな滅茶苦茶が当時、全国でいくつもあったようです。

あ~、書いちゃった。

 

皆が皆、興信所の人間の様な、この田舎町。私もきんどーさんも知っていました。

その支部長になった者をYとします。

 

ところが、この田舎町に、1943年生まれで東京の大学(明治大学)に入って上京し、その年に大山道場に入門をした人がいます。その人は極真会館になって数年後に努力が実り、実力で初段を允許されました。その人は、司法試験に合格をし、東京で司法修習生となり、その後、この田舎に帰郷し、企業弁護士と普通の弁護士の仕事をしていました。この方をX先生とします。

 

そして、X先生に1950年生まれの従弟がいて、その方はX先生から中村忠芦原英幸のトンデモ強さを聞いており、何と芦原英幸のお膝元である愛媛大学に入学し、愛媛県に行って芦原門下生になりました。そして、学業と空手修行の二足のわらじ。それから見事に初段を取得し、何とか松山市に仕事を見つけ、仕事をしながらさらに空手修行。二段を允許されました。この方をZ師範代とします。

 

それで、極真空手ド素人のYが支部長になったことを聞いたX先生。

「あっちゃ~。大山館長も無茶苦茶しよる」と思い、何と愛媛県に骨を埋めるつもりでいたZ師範代を帰郷させたのです。勿論、Z師範代は芦原英幸支部長の許可を得て。

 

んでもって、X先生に道場でフル・ボッコにされたY、X先生が支部拡張の際には力になることを条件に、Z師範代を支部に入れさせたという、いきさつがありました。しかもZ師範代は、高校、小中学校時代の友人で本部や埼玉の添野道場で黒帯を允許された三名を帰郷させ、指導員にしました。

 

こうしたことが筒抜けであったことから、私もきんどーさんもZ師範代を目当てに入門しました。

 

Z師範代は紛れもない猛者で、喧嘩がバカ強いきんどーさんをして「勝てねぇ」と言わしめました。

 

ただ、Z師範代は相当な指導力を有していたことから、まだ黒帯を有していないものの「同好会」上がりの色帯の先輩たちをかなり強く育て上げていました。

 

そして、忘れもしない入門三日目のことです。きんどーさんも私もZ師範代に組手でフル・ボッコにされました。Z師範代が言いました。

「お前たちはいいものを持っている。伸びるよ」と。笑顔で頷いていたA、B、Cの三人の指導員。

ところが、このZ師範代の言葉が引き金になって、私たち二人は色帯の先輩たちに嫉妬を買いました。

 

まァ、入門三日目に地獄を見ました。手荒い洗礼と言うべきか。

 

ただ、四日目にB指導員にも私たちはフル・ボッコにされました。B先輩、良い人なのですが、私たちは打倒・B先輩を目標にしたのです。

 

ところが私たち二人には、Z師範代を育てた「芦原英幸」が大きくクローズ・アップされたのです。

 

 

 

(この稿・続く/不定期連載)

 

 

 

 

 

神さん・あの入門三日目、生涯忘れないと思う・ラブ。