何故、極真空手は地上最強から陥落したのか(1)

 

昨日の記事、ヒクソン・グレイシーのファンが読まれたら、相当に不快になったことでしょう。私の世代でもね、仕事を終えた帰りにヒクソン・グレイシーが闘うビデオをレンタルして、家でビデオを見て、「ヒクソン、つえーぜー、最高」という人が多かったものです。昨日のWと言う友人もその一人。

ですが、いつの世でも、嘘は声高に言われ真実は小声で囁かれるものですが、私はそうした風潮が嫌いであることから事実を正直に書きます。

 

あと、昨日書き忘れたのですが、ヒクソン桜庭和志吉田秀彦からの挑戦を逃げまくったこと、これは或る意味、プロ格闘家なら当然の側面があるのです。

それは、ヒクソンの場合、弟のホイスと共にブラジルから裸一貫でアメリカに出て、UFC等を通してグレイシー道場の普及に努め、一定の成果を上げていました。だから、日本でとは言え、ヒクソンは負けることが許されなかったのです。ヒクソンが負けたことがアメリカにまで伝わったなら、道場生が次々と辞めてしまい、グレイシー道場が潰れてしまうのですから。

道場絡みではないのですが、ボクシングの世界チャンピオン、次の挑戦者指名に本当に強い者を避けて、自分が勝てそうな者を指名する時がしばしばあります。仕方ないんですよ、チャンピオンでいてお金を稼ぐ為なんですから。

プロには食べて行く為に、そうした必要悪(言い過ぎか?)が許されるのです。

 

あと、昨日私が「ヒクソン柔術を柔道の国体レベル」と書いて、憤慨した人もいるかも知れません。ですが、そうした人たちは柔道のレベルの高さを知りません。もう、国体における柔道のレベルの高さと言ったら物凄いものがあります。全日本選手権出場選手以上に強い人が出る時があるのですから。例えば、自衛隊の基地にもよりますが、基地によっては柔道、全日本以上に国体を重視しているところがあります。警察署、然りです。あ、思い出した。自衛隊の特殊部隊、その名称を忘れましたが、その特殊部隊は国体重視です。私は生で国体の柔道を二回見ましたが、何故か柔道二段を有し、身長180センチ・体重65キロの私が、52キロ級選手・一回戦負けの選手と柔道で闘っても秒殺されますから。くれぐれも柔道をナメないように。

 

 

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さて、掲題の件ですが。

その前に、『最強格闘技』は何か? と言うことが今でもしばしば話題になるようですが、最強格闘技とは『幻想』なのです。そもそも闘い方がまるで異なるものを同じ土俵に上げること自体に無理があります。

ですが、仮に『最強格闘技』があるとすれば、ノー・ルール(喧嘩ですね)で闘ったとして、人知を超えたとんでもなく強い人間を輩出するものが『最強格闘技』と言えるでしょう。

その仮にで言えば、嘗て、その最右翼にあったのが極真空手であった訳です。

 

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前にも書いたように、中村忠、大山茂、大山泰彦芦原英幸と言った、大山道場時代からの弟子なんて言ったら、その超人的な強さは言葉にできません。

 

私が地元の極真空手の道場にいて、前近代的な(笑)何でもありの極真空手を学んでいたことは前に書いた通りです。時は1980~1983年。この頃は、極真会館の前身である大山道場の空手を守ろうとしていた支部長が一部にいて、私んとこの支部長ではないものの師範代がそういう人でした。極真の大会ルールに縛られることなく、ルールなしでの強さを追求していたものです。だけど、その為に、その優秀な師範代(故人)が全日本大会に出ても、練習の効率の悪さから、いいとこベスト16だったり(笑)。

 

ですが、1969(昭和44)年に極真の第一回全日本大会が開かれ、大会ルールありきの極真空手になっても

 

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山崎照朝(極真会館黎明期に入門)

 

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盧山初雄大山道場時代に入門)

 

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添野義二(大山道場時代に入門)の三名は『武道空手・極真』の体現者・具現者であり、マジで強かった。ルールを取っ払って、喧嘩になったら、その全盛期に地球上に勝てる人間が何人いたか。他ならぬ大山倍達中村忠、大山茂、大山泰彦芦原英幸だけじゃね? 目突き・金蹴り・ノド仏への突き・親指を肛門に突き刺す・瞬時に睾丸を握り潰す等々の禁じ手の達人であったことは確か。

 

その後でも

 

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二宮城光(芦原英幸の一番弟子)

 

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中村誠~徹底的に相手を木っ端微塵にぶっ壊す破壊の空手の具現者

 

が登場した。

 

ここで90年代の後半から或る空手・格闘技ライターから、その戦法に批判をされた

 

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三瓶啓二。当時、前人未踏の全日本三連覇の大偉業を成し遂げた

 

この三瓶啓二中村誠は同時代の選手で、その時代を「三誠時代」と呼んだ。

 

先ず、中村誠であるが、身長183センチ・体重120キロの恵まれた身体に天性の空手センスを有し、1979年の全日本で優勝をした際には誰もが(これからは中村誠の時代だ)と思ったにちがいない。

一方、三瓶啓二は身長が170センチそこそこで、体重・・・・・・忘れた。ともかく、三瓶は身体が中村誠よりも二回り以上小さかった。あと、空手センスでは誠に及ばず。

その三瓶は打倒・中村誠を行わねば、全日本で優勝できなかった。

そして、三瓶が採った戦法であるが、「ルールを利用した」のである。三瓶は言った。「極真もとどのつまりは、ポイント制だ」と。三瓶はノックアウト制を否定したのだ

三瓶は、もう発狂せんばかりの猛稽古に打ち込み(少なくとも1日10時間は稽古・練習をした、多い時には1日15時間)、技を磨き、それだけでなく無尽蔵なスタミナを養成した。

そして、1980年の全日本大会において、三瓶は格下の相手には力をセーブして、ポイント制を利用し判定勝ちを収めまくって、力を温存。それから決勝で中村誠と対戦するや温存していた力のありったけを誠にぶつけ、無尽蔵なスタミナも武器に、延長、再延長と闘い、体重判定で勝利をものにした。見事に、ルールを利用した。

また、三瓶が対中村誠戦で見せた「ルールの利用」であるが、極真の大会ルールには顔面殴打がないことから、顔面ガラ空きで誠の懐に飛び込んでのショート・パンチの連打。手数重視である。これをして他流派から『相撲空手』と揶揄される。

 

三瓶の前にルールを利用した選手がいないことはなかったが、三瓶は打倒・中村誠の為に、徹底的に「ルールを利用」した。ルールを味方につけたのだ。

 

この三瓶の戦法が上で書いた或る空手・格闘技ライターの批判の的になった。

 

だが、私は言う。三瓶啓二は対中村誠の為に、そうした戦法を採らざるを得ず、実際の三瓶の道場での組手は、とんでもない多彩さに溢れていた。上段廻し蹴り、後ろ廻し蹴り等々、蹴り技も豊富であったのだ。

また、三瓶以外の誰があの中村誠をストップし得たのか。誰もいない。三瓶が三連覇を果たした1982年大会で、中村誠が慢心から墓穴を掘ってベスト16に届かずに(だったと思う)負けたことはあったが(苦笑)。

 

その空手・格闘技ライターの影響から、三瓶啓二が「極真空手から一撃必倒を奪い、極真空手をダメにした張本人だ」と言われ、今日に至る。

 

だが、私の見解はかなり異なる。

 

 

(以下、続く)

 

 

 

 

 

神さん・あの中村誠をストップしたのって凄いんだよ・ラブ。