中曽根康弘を弾劾する

 

中曽根康弘元首相が死去した。

 

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嘗て、中曽根自身だったか他の政治家だったか忘れたが、「政治家は後の歴史のなかで評価される」と語ったものの、私は中曽根康弘が首相当時にリアルタイムであり、彼の首相としての『功罪』において、『罪』の方を余りに多く眼にしてきており、それ故に中曽根康弘が首相在任中に行ってきた多数の『罪』を弾劾せねば死んでも死にきれない。

 

また、我々が現代において抱える諸問題に対し、その処方箋を見いだす為には、歴史(過去)を徹底的に検証することが必要である。歴史(過去)を学ぶことによって、現代が抱えている諸問題、その現状分析を確かな手法で解明しなくてはならない。そして、そうすることを行わなくば、我々の未来に、将来世代に対しても有益な処方箋を提供することが不可能である。これが現代に生きる私たちの、将来世代への責務である。

 

 

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先ず、本稿の入り口を柔らかくする為に、以下を記す。

中曽根康弘は『戦後政治の総決算』をキャッチフレーズにして首相就任。それからの中曽根は保守派を自認し対米自立論を打ち出していたものの、米・レーガン大統領との蜜月関係を全面に打ち出していた。そして、日の出山荘でのレーガン大統領との会談やキャンプ・デービットでの同大統領との会談においてはこれみよがしな派手なパフォーマンスを披露。中曽根には、日米首脳会談以外でも派手なパフォーマンスを披露する側面が多々あった。

ここまで記しただけで、賢明な方はもうお分かりのことと思うが、あの戦後最大最狂の首相であった小泉純一郎は、この中曽根康弘の手法を真似たのだ。中曽根康弘の存在が、戦後最大最狂の首相、小泉純一郎の登場を約束したと言って良い。2001年当時、政界の寝業師として君臨していた田中真紀子の後ろ盾があったにせよ、遅かれ早かれ、小泉純一郎は間違いなく首相の座に就き、「日本をぶっ壊した」ことであろう。

 

 

ここで本来なら中曽根政権に多大な影響を与えた第二次臨調(臨時行政調査会)まで踏み込むべきなのであろうが、余りにも長くなることから、『増税なき財政再建』と『官業民営化』について簡潔に述べる。

 

最初に後者の『官業民営化』であるが、当時、巨額の財政赤字の元凶の一つであった「国鉄の分割民営化」の他に、「電電公社」と「専売公社」の民営化がある。

本来であれば、これらの民営化は遅くとも佐藤栄作内閣で達成されなくてはならなかったのだが、国鉄労組が難問題であったことから佐藤内閣では簡単に棚上げにされてしまった。

 

しかし、その後の年月を経て、国鉄を中心にした財政赤字が膨張したが為に、第二次臨調が発足し、中曽根政権がそれを引き継いで国鉄の分割民営化と電電公社、専売公社の民営化が達成された。ただ、国鉄の民営化においては、国鉄労組において、社会党左派陣営はさておき、過激な日本共産党陣営を日本共産党が縁を切りたいと思っていたと言う大きな追い風があったからこそ民営化を成し得たことを我々は念頭に置く必要がある。とは言え、中曽根康弘が或る裏技を用い、日本共産党を懐柔したことを後述する。

 

これらの民営化をして中曽根政権を高評価するのではなく、むしろ棚上げにした佐藤栄作が批判されるべきである。

 

次に前者の『増税なき財政再建』であるが、経済に無知な土光敏夫瀬島龍三を中心に「ゼロ・シーリング」が中曽根政権でもほぼ維持された。

日本が第二次オイル・ショックを克服した後で、1985年のプラザ合意までほぼ中成長を成し遂げ、国民所得の大幅な向上に寄与したものは、当時のハイテクだった半導体等々を中心とした産業構造の転換に日本企業がうまく対応できたからである。『増税なき財政再建』を標榜していた中曽根内閣は何もしていなかったのだ。

 

それで『増税なき財政再建』であるが、中曽根は財政再建を短期的に行うことを目的化したが、「増税なくば財政再建は不可能」と、ようやく悟り、『売上税』(今の消費税)の導入に踏み切ろうとしたが、国民の反発を買い失敗に終わった。

後に消費税を導入した竹下登もだが、中曽根も「何故、大型間接税が必要なのか」を全く国民に説明することがなかった。筆者の推測だが、当時の大蔵官僚にも「大型間接税は支出比例税であるから逆進性がない」ことを理解するだけの力(アタマ)が無かったのだと思う。当時は大きな国民所得の向上の為に日本は先進国間でも類例がないほどに、国民所得格差が小さかったことから(「一億総中流」が流行語になった)、『税の垂直的公平から水平的公平』への転換を図るべく、所得税減税とセットで大型間接税を導入すべきであった。

こうした点でも中曽根康弘は批判に晒されるべきである。

 

また、この時期に中曽根は社会保険料の適切な見直しを行うことも放棄した。これが成されていれば、今の年金問題や健康保険問題も、より遙かに小さくて済んだのだ。

この点でも中曽根康弘は大いに批判をされるべきである。

 

この延長で述べておきたいことがある。

 

1985年のプラザ合意を容認した中曽根だが、その翌年に日本は円高不況に見舞われたが、ゼロ・シーリングをほぼ維持するだけの中曽根内閣は大幅な金融緩和政策だけを行った。これが1987年からのあだ花(狂い咲き)でしかないバブルをもたらせた一つの大きな要因である。そもそも円高で業績不振に陥ったのは外需依存体質企業だけであり、そうではない企業の業績は好調であった。決してデフレーションではなかったのである。デフレでなかったところに大幅な金融緩和政策を行ったことが、バブルを生み出した大きな要因だ。

こうした経済に酷く無知でしかない中曽根康弘は、さらに批判をされるべきだ。

 

第三に、原子力発電所

読売新聞社のトップであった正力松太郎と若き中曽根康弘が「日本でも合法的に核を保有したい」と言う思惑を持ち、その後、『軍産複合体』として『国策推進』されてきたのが日本の原発である。商業用のウラン等から果たして原爆をつくれるのか否かと言う議論はさておき、この日本では原発が『軍産複合体』として『国策推進』されてきたことは確かである。例え、或る時期から『軍産複合体』が外れたとしても。

その原発であるが、電力の需給状況とは全く関係がなく、また、『軍産複合体』を差し引いても、政治家、電力会社、霞ヶ関(官僚)、御用学者、地方自治体等々にこれ以上なく「美味しいモノ」を生み出したことが、全国に多数の原発を立地させた。

その美味しいモノとは「カネ」である。『原発マネー』だ。

例え『軍産複合体』が切り離されたとしても『原発マネー』が原発を『国策推進』させてきた。

3.11における福島第一原発事故のあとで、ようやく『原子力ムラ』または『原子力マフィア』という存在が大きくクローズアップされたが(お忘れになった方々も多いと思う)、産業界を中心に述べてみる。

先ず、原子力ムラの中枢に位置する地域独占の電力9社と原発プラント・メーカーが基盤を成している。電力会社の利益は総括原価方式で求められるが、この総括原価方式において電力会社の利益をレート・ベースの8%までとしている。そうしたことから、原発のような巨額の設備投資は「行えば行うほど」レート・ベースが高くなり、電力会社の利益も増えるということになる。それ故に電力会社は原発を「建てれば建てるほど」儲かる絡繰りにあることから、原発推進を行ってきた。そして、そこに大手ゼネコン会社、鉄鋼メーカー、ウラン等を扱う商社、資金融資の為の銀行等々がハイエナの様に群がり、巨大な原発コングロマリットを形成している。

政界・与野党の大物は例外なく電力会社と親しくしているし、経産省文科省を筆頭に中央省庁も電力会社と深い関係にある。他に御用学者の供給源である旧帝大東工大、また、マスコミは広告費と言う名の原発マネーで経営基盤を支えてもらっている。

要は、原子力ムラとは特に政府、中央省庁、産業、労組、大学、マスコミ、財界、地方自治体(首長を含む)が癒着した原発推進論者ばかりの共同体で、果てはそこに検察、裁判官、警察庁も加わり、独占企業である電力会社の豊富なカネを回し合い、各々がそこから利益を得る伏魔殿だ。この伏魔殿をより強固にしたのが中曽根康弘である。

 

中曽根政権時代にも原発増設ラッシュとなったが、中曽根康弘原発マネーを中軸に自身の政権基盤を盤石なものにした。

 

ここで書いてしまうが、国鉄民営化の際に中曽根康弘日本共産党に多額のカネ(そのほとんどが原発マネーであったことだろう)を出し、国鉄労組と切り離させたのだ。社会党左派懐柔を目的に、社会党にも相応なカネが流れた。所詮、マルクス主義者もカネ次第である。

 

中曽根康弘が、原発マネーで政治をよりいっそう腐敗させた第一人者なのである。

この事実を我々は決して忘れてはならない。

 

第四。1985年の日航ジャンボ機墜落事故

その事故原因究明の為に多くの人、組織が頑張ったのだが、究明がボーイング社にまで及んだ時に「ロン・ヤス」関係で、政治的な幕引きが行われたのだ。

これも中曽根康弘がとんでもなく大きな批判をされてしかるべきことだ。

さもなくば、520名もの魂がうかばれることは、一切ない。

この事実も我々は決して忘れてはならない。

 

 

PS;12/1に「原子力ムラ」の住人に一部、加筆をしました。

 

 

 

神さん・今日はマジで疲れた&ワードに書いた(コピペした)のに文章、変だ~、嗚呼、ぎっくり腰が切ないよ・ラブ。