女子アナ・ブームの黎明期/想い出の女子・アナ

神さん、本当に疲れが出て、私がつくったおにぎり2個とキノコのお汁をたいらげて、また寝ちゃいました。私が考えていた以上に

 

(@_@;)・・・・・・・・だった模様です。休んで良かったです。

 

 

***************************************

 

夫としては神さんをゆっくり休ませることを第一にしますので、今日はギターの練習もしませんし、オーディオで音楽を聴くこともしません。

 

そうしたことから、今の女子アナ人気の火付け役となった2名様をご紹介したいと思います。ただ、昭和も昭和なので、手頃な画像を見つけられなかったことをご容赦下さい。

今、40歳未満の方々には「そーなんだ」と思って頂ければ幸いですし、団塊ジュニアから上、特に私と同世代の方には懐かしく思って頂きたく思います。

 

先ず

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20190907181918j:plain

 

宮崎緑さん。1958年1月15日生まれ。神奈川県立湘南高校慶應大学法学部・同大学院修士課程修了。神谷不二教授ゼミ生。現・千葉商科大学国際教養学部教授、同学部長。国際政治学者。

 

1982(昭和57)年4月、NHK『ニュースセンター9時』に宮崎緑さんが登場して、私も含めて(その若き日の)宮崎さんの美貌と落ち着いたニュースの読みに驚愕して全国に多数の男性ファンを獲得。宮崎緑センショーンが巻き起こったのです。

事実上、日本初の女性ニュース・キャスターでした。

今では性差別やらジェンダーがどうしたこうしたetc・・・・・・ものですが、当時、男性優位社会であったニュース・キャスターの世界を女性に門戸開放を行ったのが、この宮崎緑さんです。

でも、この時のフィーバー(←死語)ぶりと言ったら・・・・・・。

宮崎さんは「フォーカス」「フライデー」と言った写真週刊誌に四六時中追いかけ回されていましたが、軽いフットワークで対応していました。

確か、宮崎さんのキャスターは1988(昭和63)年まで続いたと思いますが、何故か1986(昭和61)年には顔がツタンカーメンしてしまい(ビートたけしも言っていた)、ファンをやめた私です。

 

その後の宮崎さんは、阪神淡路大震災の取材に毛皮のコートを着て行き、大顰蹙を買うことを筆頭に、何か天然・・・・・・。国際政治学者としても全く評価に値しない仕事ぶり。

 

ですが、この宮崎緑さんの登場が無くばバブル期の「女子アナ・ブーム」も無く、『女性ニュース・キャスター』の登場には時間を要したこと、間違いありません。

 

 

次いで

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20190907185556j:plain

 

やはりNHK、渡邉(旧姓・久能木→黒田)あゆみアナの登場! 1960年1月29日生まれ。神奈川県横浜市生まれ・鎌倉市育ち。神奈川県立湘南高校東京大学教養学部卒。高校が宮崎緑さんの2学年後輩。※1学年下には柔道ロサンゼルス・オリンピック金メダリスト、山下泰裕氏の奥様になられた早大卒の美女がおり、湘南高校には才色兼備の女性が多い、と思いこんだことが懐かしい私。因みに、私が大学に入って最初に付き合った、お茶の水女子大学の人も湘南高校卒(笑)。

 

1985(昭和60)年4月に『7時のニュース』に松平定知アナと共に登場した時の衝撃度もハンパなかった。もう、久能木あゆみアナ・フィーバー、勃発! 当時高3だった従弟が購読していた蛍雪時代にも久能木アナのインタビューが載り、その頁を頂戴した私。私は、あゆみストとなり、久能木アナが載っている雑誌を片っ端から買いあさり、頁を切り取ってファイルしていたのだ。その時、付き合っていた、お茶の水女子大生に「私と久能木アナのどっちが大事なの~」と泣き出されたことも今では良い想い出です。

しかし、久能木あゆみアナは大学時代から交際していた男性(イケメン)と結婚(結婚式場まで写真週刊誌が押し寄せた)。あえなく失恋をした私・・・・・・。だが、私を含めて世のあゆみストは笑顔で祝福をしたのである。『週間現代』でのインタビューが本当であったなら、「俺はあゆみストでいて正しかった!」と喜んだ私や周囲の友人たち。

 

その後、私は黒田あゆみアナの著書『ママじゃなきゃダメ!』を買って、読んでいたりした。もう一冊出たはずだが、今、神さんに訊いたら「忘れましたぁぁぁ」。

ただ、黒田アナの著書を読みながら私は思った。(もっと旦那さんを立てないとマズイですよ・・・・・・)

 

時期を失念しているのですが、黒田アナが男性アナと軽快な司会をして人気の『生活ほっとモーニング』をうつ病で休んで見た時に、黒田アナと男性アナの間にどういうやりとりがあったのかを覚えていないのですが、黒田アナがびくっ! として、(え? まさか離婚したの?)と私は思いました。その後、私が仕事から帰宅したら神さんが、「貴方、たいへんです!」と黒田アナが離婚をしていたとの報告。

 

けれども、それから医師(だっけ?)と再婚をした渡邉アナは幸福なようで、良かった・良かった、と思う次第です。

 

 

ともかく、宮崎緑さんと渡邉あゆみアナが先駆者として、女子アナの扉を開きました。

 

ただね~。バブル期に巻き起こった民放のおぞましいグロテスクな女子アナ・ブーム。あれは最悪でした。

 

 

***************************************

 

神さんは宮崎緑さんについては顔がツタンカーメンしてからしか見ていなかったようで、宮崎さんのことを余り好きでない模様。でも、神さんは渡邉あゆみアナのことが好きで『生活ほっとモーニング』から多数教わったそう。

 

そんな私と神さんは女性の好みも一致しています。嫌いなのも一致しているな。

 

それで私たちの想い出深い女子アナには

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20190907195900j:plain

 

NHKで1995年4月(だったと思う)に始まった『ためしてガッテン』の初代アナ(女性司会)を務めた山本志保アナがいます。1968年9月9日生まれ。千葉県立千葉女子高校、津田塾大学学芸学部卒。軽快なトークも得意で、テナー気味の落ち着いた声と素敵な笑顔が印象的なアナでした。ホント、癒し系。

 

次いで、或る大騒動の後で「私はNHK一筋です」と言う言葉を携え

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20190907200853j:plain

 

1997年4月から『おはよう日本』のキャスターを務めた武内陶子アナ。1965年4月17日・岡山県倉敷市生まれ。愛媛県松山東高校神戸女学院大学文学部卒。

まぁ既婚者であったことから、のっけから私は失恋をしたのですが、その後の武内アナの公私にわたる充実度・幸福度を踏まえれば、武内アナの素敵度満載で私たちも笑顔になります。これは武内アナ・ファンの共通事項でしょう。癒し系でもあり、元気系でもあるアナ。

武内アナには、たまにテレビ・カメラの前に出て頂きたいものです。

現在、シニア・アナウンサーの職にあります。

 

 

あとは、ね。

 

前にも書いた森田美由紀アナの大大大ファンです、私たち夫婦は。

 

 

 

神さん・まだ寝てるの?・ラブ。