ジェネレーションによる大学評価の違いについて思う

神さんと昼食を食べながら、掲題の件について話が出たことから記します。

 

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『第一次受験戦争』と言われたのは団塊の世代をしてです。その当時は国立大学至上主義で、早慶の難関学部も旧帝大の滑り止めでした。『官尊民卑の風潮が強い・根強い日本。その国立大学至上主義は、1979(昭和54)年の共通一次試験制度導入まで続きました。

 

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東京大学を頂点としたヒエラルキー制度がありました。

 

しかし、それが共通一次試験開始後に一気に、そして大きく変わったのです。私は、その当事者でリアルタイム組です。

 

今まで自分のことを書くのは、はしたないと言う思いから避けていたのですが、正直に書きます。

 

その前に、私の父の職業は社会保険事務所勤務(国家公務員Ⅱ種)で、我が県の二つの市で社会保険事務所の所長を務めていました。昭和一桁生まれ。だから、『官尊民卑がかなり色濃く、地元の民間企業で認めるのは銀行と新聞社、テレビ局だけと言う人間。

私はそんな父に小学5年生から反発しだしたのです。(こんなド田舎で公務員の何が偉いんだ!)、私にはかなり早く反抗期が訪れました。私が反発しだした原因は

 

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東大の安田講堂攻防戦にありました。早大闘争・日大闘争を棚に上げて(笑)テレビの画面に釘付けになった安田講堂攻防戦。小学4年生の時にマルクス主義の概略を知った私は、安田講堂攻防戦を思い出し、(とんでもねぇ奴等だったんだ!)と強く思い、また中核派の総本山が京都大学で、その弟が東北大学であることを知りました。早稲田大学革マルに縁が深いことは知らなかったことにして(笑)。

そんなことから、その翌年である小学5年生になった私は、過激なアンチ国立大になったのです。

また私は

 

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慶應義塾図書館に憧れたのです。大隈講堂や安田講堂以上に。

それで大学まで進学をして経済学を中心に社会科学全般を勉強をしたいと思っていた私は父に

「父ちゃん! 俺、慶應の経済に行く!」と言い、「それはまかりならぬ! 旧帝大に入れ!」と言う父と親子喧嘩。小学4、5年生と言うと1975、76年。まだ、その頃は慶應の経済学部の難易度は緩く、楽に大学生になれると言う目算もありました(笑)。

 

まぁ、中学生を飛ばして、地元の最有力進学高校に労せず入った私ですが、困ったことに高校で勉強ができたのです。定期テスト、実力テスト、模試の成績、5教科で最低で5位。

ただ、中3~高3にかけて早稲田・慶應上智大学を筆頭に私大の難化がとんでもなく急加速したのです。因みに私が高2の時に私たちをして『第二次受験戦争』と言われました。それはともかく

(一体、早慶上智を筆頭に私大が何でこんなに難しくなってきているんだ?)と私は思い、クラスの友人たちと話し合いました。

ただ、困ったことに勉強ができた私、模試で東大の文Ⅱ(経済学部)の合格判定Aが出ちゃっていたのです。大学の学費、仕送りも出資者はトト様。故に、模試の結果をトト様に見せざるを得ません。そうしたら、トト様は

「東大に入れ!」・・・・・・・・・・。

 

そんな私は高3の大学受験において、受験願書を慶應と東大(共通一次の結果から)にしか出しませんでした。

しかし、1984(昭和59)年2月の慶應・経済の受験に際してインフルエンザに罹り38.7度の高熱を出し、受験をしたものの見事に玉砕!

3月頭の東大の受験は、東京に行くだけ行って受験を放棄し、お年玉で

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ソープランドに行きました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

あ、いや、私の初体験(初H)は高1の6月ですでも、ソープランドに行ってみたかたのです。「わ~か~か~あったあの頃、何も怖くなかった~、ただ、たまることだけが~怖かった~ ♪♪」

 

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そしてめでたく浪人生になった私は、隣県の100万人都市の有名予備校生になりました。

そして、知ったのです。著しい私大難化の原因を。

それは第一次石油ショック後の大不況もそうですが、その後の円高不況、第二次石油ショックに伴う不況を多くの民間企業が克服し得た大きな理由に、私大卒の人々が頑張ったからで、そうしたことから私大の社会的評価が高くなっていたと言うことを。

 

そして、私の高校の同級生もそうでしたが、全国的に、例えば官僚になるなら東大、都銀で出世するなら慶應、マスコミなら早稲田、と言う具合に、もう中学生の時点で将来の職業を想定し、それに有利な大学に進学すると言うことが東京を中心に全国規模で広がっており、シンクロしていたと言う現実を知りました。

また、第二次石油ショック以降に急激な国民所得の向上があり、それを背景に、「何が何でも第一志望の大学に入る」と言う現象が生じ、一浪どころか二浪が当たり前と言う時代で東大の文Ⅰと早稲田・慶應の法学部が偏差値で並び、東大の文Ⅱと早稲田の政経慶應の経済が偏差値で並び、東大の理科Ⅰ類と早慶理工学部が偏差値で並び、『東合早落・東合慶落』 (東大の受験者が例えば文Ⅱに合格できたけれども、早稲田の政経慶應の経済には落ちた)と言う現象も出たのです。

 

これは厳密に考えれば産業主義に犯されたものではありますが

 

東大至上主義が崩壊した現象だったのです!

 

そして私の浪人中の6月末にトト様がプチ天下りをして、地元の地銀の厚生年金基金の常務理事になったら

「今は私大がすごいらしいな! 東大じゃなく慶應に行け!」とトト様。単細胞な人だったんです・・・・・・。

 

私は翌年に一橋大学経済学部を滑り止めにして慶應の経済を受験し、リベンジ!

 

ともかく、東大至上主義の崩壊! と言う健全な状況がバブル崩壊まで続きました。

 

しかし、バブル崩壊と先の見えない大不況から、親にお金がなくなり国立大学が復活した模様(簡単に子どもを私大に進学させられなくなった)。

 

 

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そして年月が流れて、娘が大学受験。

娘が高校生になってから、「大学評価」に温度差が生じていることに気づきました、地域ごとに、また地域内の高校ごとに。さらには、子どもの親ごとに。

 

娘は私に似たのかアンチ国立で、娘も東大を簡単に受験できるはずが

「私も慶應の経済学部に行って経済の勉強をしたい」とイージーに。

 

息子は或る特別な研究をしたくて、それに力を入れているのが東大で

「仕方ないなぁ、東大に行くかぁ」と、それこそイージーに。

 

神さんはのんびりマイペース。ただ、神さんは娘に言いました。

「貴方ね、慶應に入りたくとも入れない人が大勢いることを決して忘れちゃダメよ。また、慶應を出たからと言って偉いことなんて、何ひとつないのよ」と。

また神さんは息子に言いました。

「貴方ね、東大なんてオックスフォード大学やケンブリッジ大学スタンフォード大学に比べたら貧相なものなのよ。東大生であることを鼻にかけていたら、痛いしっぺ返しを喰らうわよ」

私は神さんの言葉を聞いて、正しい、と思いました。やはり神さんは神です。

我が家ではマジメな話、何処の大学を評価するか、なんて誰も一度も考えたことがないのです。私が慶應の経済学部を出たからと言って、子どもたちは私のその後のサラリーマン時代の苦労を全て知っていますから。

 

我が家は何かのんびりムードだったのですけれども、首都圏の私や神さんの友人の話を聞くと大学評価がマチマチ。例えば、或る人間は「今は早慶よりも一橋大学の方が評価が高い」、そうかと思えば神さんの友人は「商学部以上なら早慶の方が一橋大学より評価が上よ」と。また高校時代の友人を見ていて、旧帝大に行って、社会人になってつまずいたなら反・旧帝大になり、子どもを頑張らせてワセホウに入れるとか、旧帝大に行って、社会人になっても順調な者は旧帝大・万歳! で子どもも旧帝大に入れるとか、いろいろあるようです。

 

ただ、バブル崩壊後に東大至上主義が復活したことは事実。

 

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ですが、私は前にMARCHを応援する記事を書きましたが、MARCHを立派だと思っていますし、関関同立、然り、日東駒専も高評価。大学に入ってからアンチ国立大をやめて、旧帝大だって良いと思いますし、旧制一期校だって。

え? 何でアンチ国立大をやめたかって? それは大学に入って最初に付き合った女性が、お茶の水女子大学の学生だったから。神さんの先輩(双方に面識はない)。女は男を変える。これ、普遍の真理。

あと、私はA社、B社でいろいろ人を見て、「結局は大学じゃないんだな」と痛感しました。

 

 

 

神さん・昼寝から起きた・ラブ。

(仕事に行くはずが、休んでしまった私たち)