じみーちゃん、農作業をする/川崎市登戸の事件

4/20の『え? じみーちゃん、農作業をする?!』と4/23の従姉の納屋の片づけをしたことに準ずるのですが、昨日は朝の6:00から果樹農家を営む従姉夫婦の農作業の手伝いをしました。昨日も相当な暑さであったことから、熱中症対策を充分にして。

 

先にも書いた通り、従姉は高齢であることから農作業を引退していて、従姉の息子が頑張っています。本当は農業とは『夫婦共働き』なのですが、その息子の嫁が農作業をしない。7年くらい前から、果樹の箱詰めだけをするようになりましたが。

でも桃の実の手入れですから、昨日はまだ楽でした。

 

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されど広大な畑であることから、それに比例して樹木の数も多いので大変と言えば大変。

 

従姉の息子(以下、Kくん)がラジオをつけながら手際良く作業を進めていましたが、7:50頃だったでしょうか、川崎市登戸での19人刺殺傷事件の第一報が入ってきて、私たちは作業を中断してラジオのニュースに聞き入りました。スクールバスを待っている・乗り込もうとする児童を狙った犯行とのこと。

私は2001年の大阪・池田小学校事件を思い出しました。

また痛ましい凶悪事件が起こってしまいました。

 

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(外道・・・・・・)、私は怒りました。

Kくんが

「犯人の目撃情報とか、犯人に関する報道がないですね」と言いました。私は

「自決したんじゃねぇのか」と言いました。

作業に戻った私たちですが、池田小学校事件にしても相模原障害者施設殺傷事件にしても、抵抗する力の弱い(或いは、無い)子どもたちや障害者をターゲットにすることが何よりも許せません。まさに外道の所業。

 

その後、休憩時間にアイス・コーヒーで喉を潤す私たちに事件の続報が入ってきて、聖マリアンナ医大病院の副院長の話から、やはり犯人は自決したことが判りました。

 

それから私たちは黙々と作業をしました。

 

そして昨日の所定の作業を終え、従姉が昼食を用意してくれたことから、それを頂き、私は帰宅しました。

帰る途中の車のなかで私は、(これは作業を手伝うべきなんだろうなぁ)と思いました。ただ早朝から早くて午前中いっぱいを要するため、一日のタイム・スケジュールの見直しが必要です。

 

帰宅すると、テレビで上記事件の報道を見ている神さんから、物凄い殺気が。あたかも土方歳三和泉守兼定を抜いて平青眼を構えたような殺気

私は着ていたものを洗濯機にかけ、シャワーを浴びました。

リビングに戻ったら神さんはテレビを消してうつむき加減でいました。

神さんは言いました。

 

「犯人は池田小学校事件の者と同様に、社会に対して恨みをもっていた可能性があります。社会に甘えているだけですが。社会から落ちこぼれて、社会に憎しみ・逆恨みをもち。

 

死にたければ、勝手に一人で死ねばいいのです!

 

幼い子どもたちを狙って凶行を行う道理など何一つないはずです!」

 

頷いた私。

 

ただ、後で、ネットで『死にたいなら一人で死ぬべき、という非難は控えてほしい』

と題し

 

【報道の通り、5月28日(火)朝方、川崎市で多くの子どもが刺殺、刺傷される事件が発生した。

現時点では被害状況の一部しか判明していないため、事実関係は明らかではないが、犯人らしき人物が亡くなったことも報道されている。

それを受けてネット上では早速、犯人らしき人物への非難が殺到しており、なかには「死にたいなら人を巻き込まずに自分だけで死ぬべき」「死ぬなら迷惑かけずに死ね」などの強い表現も多く見受けられる。

まず緊急で記事を配信している理由は、これらの言説をネット上で流布しないでいただきたいからだ。

次の凶行を生まないためでもある。

秋葉原無差別殺傷事件など過去の事件でも、被告が述べるのは「社会に対する怨恨」「幸せそうな人々への怨恨」である。

要するに、何らか社会に対する恨みを募らせている場合が多く、「社会は辛い自分に何もしてくれない」という一方的な感情を有している場合がある。

類似の事件をこれ以上発生させないためにも、困っていたり、辛いことがあれば、社会は手を差し伸べるし、何かしらできることはあるというメッセージの必要性を痛感している。

「死にたいなら人を巻き込まずに自分だけで死ぬべき」「死ぬなら迷惑かけずに死ね」というメッセージを受け取った犯人と同様の想いを持つ人物は、これらの言葉から何を受け取るだろうか。

やはり社会は何もしてくれないし、自分を責め続けるだけなのだろう、という想いを募らせるかもしれない。

その主張がいかに理不尽で一方的な理由であれ、そう思ってしまう人々の一部が凶行に及ぶことを阻止しなければならない。

そのためにも、社会はあなたを大事にしているし、何かができるかもしれない。社会はあなたの命を軽視していないし、死んでほしいと思っている人間など1人もいない、という強いメッセージを発していくべき時だと思う】

 

などと記した聖学院大学人間福祉学部客員准教授(←こんな大学名、初めて聞いたぞ)なる、おめでたい人物がいる。

 

それで、社会は具体的に何をどうしてくれるのか?

 

と私は問いたい。何もしないし、できないのが社会だ

 

そもそも、これを書いた奴は、ホームレスに手を差し伸べているのか?

 

極めて偽善に満ちた発言と言わざるを得ない。

 

例えば90年代に先の見えない大不況から会社の整理解雇の対象になった人は、失業保険という公的制度のお金を受給できるだけで、生活費、住宅ローン、子どもの養育費等々の心配を抱えながら、職安に行って数少ない求人を自分で見つけ、書類選考が通れば面接に行き、前に勤めていた会社より遙かに処遇が悪い(給与面も含めて)会社にやっとの思いで再就職し、住宅ローンを支払い、子どもを育てた。家計費を切りつめて。こうした事例からも分かる様に、最低限の公的制度を利用し、あとは全て『自分で道を切り拓いて』やってきた。社会が手助けしてくれることはない

 

働けば餓死することのない優れた市場経済があり、国民に自由を保障する民主主義国家である以上、例えば失業保険に代表される様に、最低限度の社会的保証さえあれば、あとは何もしないのが社会なのだ。

 

但し、それだけでは不充分なことから90年代半ばから全国で多数立ち上がったNPO法人がある。

 

実は私は、自分が過重労働からうつ病になった経緯(いきさつ)を持ち、働きながらその難を乗り切った経験があることから、『働きながらうつ病治療に当たっている人々』を対象に、NPO法人に相談者が現れた時に、夜に、そうした人々のカウンセリングを行っている。ボランティアで。

ただ、私が彼等・彼女たちにできることは、カウンセリングを行うだけで、それ以上のことは出来ない。

それ以上のことをやれるのは、自分自身だけだ

 

だが私は、そのカウンセリング(ボランティア)を通して見ることは、強い人だけが生き延びることができ、弱い人は社会的に沈んで行く、と言う事実だ

そして、それで良いのだ。国民の統治体型が自由が許された民主主義である以上、それで良いし、『仕方がない』。もっとも、ここまで手厚いことをNPOや私がしていることから、沈んで行く人は少ないが。沈んで行く少数派はただ自堕落な人だけ。

 

さて、私は、農作業を手伝うことを念頭に置き、一日のタイム・スケジュールの見直しを行います。

 

 

 

 

 

神さん・ラブ。