永遠のギター・カリスマ、ジミー・ペイジ!

昨日このブログを書いて、早めの昼食を食べた後で、ハンク・モブレーを聴きたくなりオーディオ・ルームに入ったら、息子も入ってきて

(? どうしたんだ?)と思ったら、彼は無言で断りもなく、レッド・ツェッペリン『永遠の詩』旧盤のレコードをアナログ・プレーヤーに乗せて、鳴らし出しました。私は息子の隣に座り、一緒にZEPを聴いていました。

A面が終わったところで、息子は

「早く、まともなオーディオ・セットを買えるようにしなきゃ。ミニ・コンポじゃツェッペリン、つまらないからね」と言いました。

 

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(これは、せがれ、復活の兆しか?)と私は思い、B面の『幻惑されて』を一緒に聴きました。

「やっぱり、ジミー・ペイジのギターはカッコイイな。カッコイイ。それに尽きるよ」と息子。

「そりゃあ、ジミー・ペイジは『永遠のギター・カリスマ』だからな」と私。

「そう! そうだよね! ジミー・ペイジは『永遠のギター・カリスマ』!」と息子。

私は(?)となった後で(ああっ!)となり、オーディオ・ルームから飛び出して、きんどーさんに電話。

ジミー・ペイジって、一言で言うなら『永遠のギター・カリスマ』なんですよ!」と私が言ったらきんどーさんは私の言葉に納得し、私はギターは白帯ながらリスナーとしては十段を允許されました。

 

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決して小綺麗に弾けなくても、決してテクニカル系でなくても(そうは言っても完コピ、大変だぞ!)、誰もが追従し得ない境地にジミー・ペイジが立っている最大の理由、それはジミー・ペイジは『永遠のギター・カリスマ』だから。

その『ギター・カリスマ』には、ギター・プレイがカッコイイだけでなく、容姿のカッコ良さも含まれる。ZEP時代のジミー・ペイジは全てにおいて「カッケー」の一言に尽き、それがジミー・ペイジという不世出のギタリストを表している

 

『永遠のギター・カリスマ』。これほどジミー・ペイジのことを言い表した言葉はないと思う。レッド・ツェッペリンジミー・ペイジを愛して42年間。やっと、私が辿り着いた境地!

 

嗚呼! 令和元年の初日に、私はジミー・ペイジを一言で言い表す至上の言葉を見つけた。

 

この『永遠のギター・カリスマ』の前には松本孝弘のゴミは当然のこと、ジミ・ヘンドリックスジェフ・ベックも敵わないのではないか。何せ、容姿のカッコ良さまで含むのだから

 

ビジュアルと言うものは大事だ。プロと言うものは『魅せる』ことも必要なのだから。ジミー・ペイジの前には日本のビジュアル系など、「ダッサイ」に尽きる。

 

そうだよなぁ。例え小綺麗に弾けなくても、テクニカル系でなくても(しつこいようだが、完コピ、大変だぞ!)、あのガリゴリ・ギターの魅力にはまったらもう抜け出せない麻薬的な要素が大きい。そして、それこそが、ジミー・ペイジのオリジナリティだ

 

こんなギタリスト、ブルース、ジャズ/フュージョン、ブラック・ミュージック系を見渡してもいない。

 

『永遠のギター・カリスマ』。これこそが、ジミー・ペイジを『One and Only』のギタリストたらしめている最大のファクターだ。

 

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カッコエエですなぁ。全てにおいて。ジミー・ペイジは。

 

さて、家族でドライブに行ってきます。

 

 

神さん・ラブ。ジミー・ペイジ・ラブ。