はっきり言う。QUEENはゴミ!

今日はQUEENをけなしまくることから、QUEENファン、映画『ボヘミアン・ラプソディ』でQUEENを好きになった人は、この先、読む必要なし。

 

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前に書いたが、私のロックの入り口はQUEENとKISSであった。あと、書き忘れたが、BEATLESもだった。私のギターの師匠も同様だった。

私と師匠に、BEATLES、KISS、QUEENでロックの扉を開いてくれたのは、Kくんと言う友だち。そのKくんにLED ZEPPELINも聴かされ、人生があらぬ方向に転んだのだが、私も師匠もZEPを聴くと、どうもBEATLES、KISS、QUEENが余りにも物足りないのだった。

 

その理由を書くと、『はっきり言う。BEATLESはゴミ!』の稿で述べた様に、3つのバンドとも、バック・ビートが無くはないが、余りにもか弱いからだ。

それで困ったことに、QUEENやKISSより、『HELP!』までのBEATLESの方がウラも一応取れることから、まだバック・ビートが活かされているのである。これは一重にソウル・ミュージック等から引っ張ってきたコードを用いたジョージ・マーティンの力なのだが。

 

ここからQUEENのみに的を絞ると、デビュー・アルバムとセカンド・アルバムでのQUEENはギター・バンドであった。しかし、ブライアン・メイがChar(竹中尚人)の様な天才ではなく、ブルースに無縁であったことから、ウラを取れずにオモテばかりから入るのが目立つ。加えて、ロジャーのドラム、ジョンのベース、すなわち、リズム・セクションが余りにもしょーもないから、バック・ビートがほとんど無いのだ。

これは一重に、ブライアン・メイというギタリストの限界であり、その限界が解散まで、果てはQUEEN+ボーカリスト名義での今日まで続いているのだが・・・・・・。

3作目の『シアー・ハート・アタック』で「キラー・クイーン」がヒットしたことから、バンド内で下克上が生じ、QUEENフレディ・マーキュリーのバンドになり、完全な歌モノ・バンドへと変化する。

これが悪かった。QUEENはメンバー全員がソング・ライターだったが、フレディはピアノで作曲をすることからウラも何もあったものじゃない。曲がバラエティに富んでいるのは良いが、オモテからの曲のオンパレード・・・・・・。

 

QUEENが一度目の解散危機を迎えた時に、フレディが半ばヤケクソで創った「愛という名の欲望」が皮肉にも全米で大ヒット。『ザ・ゲーム』も売れた。

その後、ジョン作曲の「地獄へ道連れ」でファンク・ビートを導入したが、ZEPの「クランジ」とは違い、バック・ビートが無く、音楽を知っている人には悪夢の無惨な曲でしかなかった。

 

それからのQUEENは、80年代という軽薄な時代に媚びを売った、大衆に媚びを売った軽佻浮薄なポップ・ミュージックを作り続けた。創る、ではない。作るなのだ。創造性など全くない軽佻浮薄なポップ・ミュージックでしかなかった。

 

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QUEENには、BEATLESでの『アビー・ロード』はおろか『ホワイト・アルバム』すらさえが、無い。

QUEENとは、女・子どものバンドでしかない。

 

 

以上が、QUEENがゴミである理由だ。

 

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しかし、だ。

 

1985年に『LIVE AID』が放送された時に、日本でQUEENのステージは回線障害、TVのCMでズタズタに切り裂かれ、2003年に『LIVE AID』のDVDが発売され、QUEENのステージを見ることができた、のだが。私は

(フレディ、すげー)、と思った。

QUEENが凄かったのではない。フレディ・マーキュリーという稀代のエンターテイナーを凄いと思ったのだ。ウェンブリー・スタジアムの観客と一体化しうる稀代のエンターテイナー、フレディ・マーキュリー

 

私のその感想が正しかったことは、映画『ボヘミアン・ラプソディ』で証明された。

 

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