LED ZEPPELIN 解散の内幕(2)

先日、LED ZEPPELIN解散の内幕について記事を書いたが、元NME記者との会話を録音したICレコーダーを繰り返して聴きながら書いていたので(これが疲れる)、書き忘れたこと、また、敢えて書かなかったことがある。

それらについて、今回は赤裸々に書く。

敢えて書かなかったことを、(書こう)、と思わせたのは、映画『ボヘミアン・ラプソディ』だ。筆者は神さん、娘、息子と大晦日に『ボヘミアン・ラプソディ』を観た。

映画のなかで、フレディがソロ活動に向かう際に、クイーンの他の3人を罵るシーンがあったが、極めて人間くさくて良かったと思った。

 

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それと同様なことが、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』レコーディング中にZEP内で生じていた。

情報の出所は、ジミー・ペイジのギター・テクニシャン、ジョン・ポール・ジョーンズのベース・テクニシャン、シンセ・テクニシャンの計3名で、その3名から異なる場所と時間に聞き出し、情報が全て一致したらしいので、話の信憑性は高いと思う。

 

筆者が敢えて書かなかったものは、スタジオ内で、ロバートが激怒し、涙を流しながらジミー、ボンゾ、ジョンジーを罵ったこと。

ロバートが激怒した理由は、「オール・マイ・ラブ」(ロバートの死んだ愛息に捧げられた曲)に、ボンゾが

「こんなシットなもの、LED ZEPPELINじゃねぇぜ! ファック!」、と、怒鳴り散らしたことに始まったらしい。

そして、ロバートもボンゾに怒鳴り返し、二人は大喧嘩。それからロバートはボンゾにこう言い放った。

「いいか、この俺がいなかったら、お前はしがない煉瓦職人だった!」

そして、ジミーに

「俺がいなかったら、お前は凡百のギタリストだったろうな!」

さらに、ジョンジー

「俺がいなかったら、お前はしょせん、しがないセッション・マンだったろうよ!」

 

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元NME記者のバーのマスターである彼は語った。

「君が言ったようにロバートはナルシズムが異常に強い。すなわち、自己顕示欲が異様なまでに強い、ということにつながる。けれど、77年USツアーまでのロバートの自己顕示欲はジミーに強力に抑えられていた。だが、その後の田舎暮らしでロバートの自己顕示欲が目覚めたのさ。バンド内においてジミー以上のスターになりたくなったのさ」

私は

「ジミーも派手な黒と白のドラゴン・スーツを着ていて目立っていたことから、自己顕示欲が強かったのでしょうけれど、ロバートの自己顕示欲の方が勝っていたのでしょうか?」

と、彼に訊いた。

 

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彼は、頷いた。その後で彼は話した。

 

「より重要なことはね、ロバートがバンドを辞めるという言葉に焦ったピーター(・グラント)がジョンジーとロバートの背中を押して曲創りを行わせた訳だが、ジョンジーとしてはジミーが仕事をできるようになるまでの時間稼ぎの曲創りに過ぎなかった、ということだ。ジョンジーは、ピーターにも内緒でポーラー・スタジオの賃貸延長を申し出ていたんだ。

そして、やっとジミーが仕事をできる状態になり、自分が思いついたギター・リフをボンゾと二人で練習を行った。従来の、LED ZEPPELINの曲創りのようにね。

そうしたらロバートが、ワイン・グラスやワイン瓶を二人に投げつけ、作業を中断させる有様。ジョンジーがロバートをなだめていたが、ジミーとボンゾが作業に入ると、ロバートが激怒し、作業を中断させてばかりだったそうだ。

結局、ジミーはやる気を無くし、『オール・マイ・ラブ』と『サウスバウンド・サウレズ』を除いては、ジョンジーの手を借りて曲を形にした。

ジョンジーは、完全主義者であるジミーがやっつけ仕事をしたことに驚いたらしい。しかも、終いにはA面の時間が余ることから、『ホット・ドッグ』なんてやっつけ曲をワン・テイクのみでジミーがやってしまったことにも、ジョンジーは驚いたそうなんだ」

 

私は

LED ZEPPELINとは、ボンゾが12気筒にツイン・ターボを加えたエンジンで、ジミーがステアリング、シフト・レバーとクラッチ・ペダル、ジョンジーが4つの足回りとタイヤ、そしてロバートがボディであった訳ですが、ボディのみが車体を引っ張ろうとした訳なんだ」、と言った。そうしたら彼は

「君は面白い表現をするね。でも、まさにそうだったんだよ」

 

「でも、そんな『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』が米国や英国で滅茶苦茶売れてしまったものだから、ロバートは有頂天、ジミーは奈落の底だよ」

彼は、そう言った。

 

私は

「夢の終わりだったんですね」、と呟いた。

 

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以上が、私が敢えて書かなかったことで、以下が書き忘れたこと。

 

80年欧州ツアーの際に、ジミー・ペイジのとてつもない薬物依存を心配したジョン・ポール・ジョーンズがドラッグをやめるように諭したら、秋のUSツアーを終えた後でジミーはリハビリ施設に入ることを承諾したそうだ。何でも、左指が動かない為に、ギター・プレイがボロボロであることに、さすがにマズイとジミーは思ったらしい。

 

だが、私も私のギターの師匠も、ZEPは80年代を乗り切ることは不可能だったと思う。