1977~1988年のジミー・ペイジ

数日前に筆者が海外旅行から帰国し、私のギターの師匠にお土産を届けに行った際、師匠が、1991年に買い、翻訳版が何故か出なかったジミー・ペイジの内幕を記した洋書(雑誌)の記事の切り抜きを見つけた、とかで、その切り抜きを拝借し、翻訳して読んでみた。

主に1975年、ZEPのUSツアーから1983年のロニーレイン・ベネフィットライブ・ツアーまでのジミー・ペイジについて記した記事だった。

 

1975年、LED ZEPPELINがUSツアーに出る直前にジミー・ペイジが左の薬指を骨折したのは有名な話。

プロモーター、ビル・グラハムとの間でツアー延期(ジミーが骨折の治療とリハビリに当たるので)の話も一応出たらしいのだが、ZEPのマネージャーであるピーター・グラントがUSツアーを日程通りに強行することにした。理由は、ビル・グラハムからツアー延期になったなら、違約金を課されることになったので。

ジミー・ペイジも楽観的に承諾したらしい。

 

嗚呼・・・・・。ここでジミー・ペイジ

「ピーター! なんじゃ、ワレッ! わしゃあ指の治療に当たるぞ! ビル・グラハムがなんぼのもんじゃいっ!」、と怒鳴ったなら最悪の事態を回避できたのに。

 

そしてUSツアーに出たZEP。しかし、ジミー・ペイジは骨折した左薬指が痛い。余りにも痛い。

それまでジミーは、ヘロインは適度に常用していたものの(ジミーはコカイン依存症だったらしい)、ヘロインには強力な鎮痛効果もあることから、瞬く間に重度のヘロイン依存症になったとのこと。指の痛みを抑えるのと快楽を求めて・・・・・。

そして、ヘロインで動かぬ身体を致死量ギリギリのコカインを酒と共に飲み、身体を動かせるようにし、ステージに上がっていた模様。

無論、ジミーの側近に医師がおり、その医師からオーバードーズにならないよう的確に純度99%以上の極上のヘロイン、コカインを処方されていたからジミーは死なずにすんだ。

 

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それでもジミー・ペイジは、このツアーでNY・MSGやロングビーチ・アリーナで名演を残し、英国・アールズコートでも名演を残した。

 

だが、その後、アルバム、『プレゼンス』制作の前後、ジミーのヘロイン、コカイン依存症はとんでもない泥沼に陥った。

それは、鉄の結束を誇ったLED ZEPPELINの崩壊への歩みでもあった。

 

1977年4/1、ダラスを皮切りに、当時、前例のない大規模なUSツアーをZEPは敢行した。結果として、このUSツアー、未完ながら約130万人の聴衆を動員し、その動員記録は1981年のストーンズの全米ツアー(180万人動員)まで破られず、また、NY・MSG、6日間連続公演、LAフォーラム、6日間連続公演の大快挙も行った。

 

しかし、である。ジミー・ペイジは、もうヘロイン、コカインの為にボロボロだった。

 

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コカインもだが、特にヘロインは末梢神経をも破壊してしまうことから、もうギターをまともに弾くことができなくなる。

ツアーに入る前からジミー・ペイジは、2~3時間毎に致死量ギリギリのヘロインを酒と共に飲んでいた。とんでもジャンキーだ。そしてヘロインで動かぬ身体を大量のコカインで動かす、という最悪の悪循環。

 

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それでもZEPやジミー・ペイジは、4/27・クリーブラント、5/30・ランドーバー、6/10・NY・MSG、6/21・LA、6/25・LAと素晴らしい名演を残した。特に6/21・LAは、『Listen to This、Eddie』で有名な爆裂ZEPである。まあ、LA全公演は良かった、にしておく。

 

だが、このツアーの間にZEP内の人間関係が、ハード・ジャンキーのペイジ&アル中のボンゾ/素面のジョンジー&たまにしかコカインしてませんのロバートに分裂してしまったのだ。

 

このUSツアー、7/23にビル・グラハム側とボンゾの間にトラブルが生じ、さらにロバートの愛息が急死したことで、7/24をもって未完のまま終えることになった。

 

しかし、2~3時間毎に致死量ギリギリのヘロインって・・・・・。

医師から純度99%以上のものを処方されていたから死なずにすんだとは言え・・・・・。

 

因みに、ハード・ジャンキーと言えば

 

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知能が低いコイツが有名だが、筆者と筆者のギターの師匠は嘘っ八だと断定する。

コイツは『スティッキー~』の頃から泥沼のジャンキーになったと言われているが、『イグザイル~』リリース後の72年USツアー、73年欧州ツアーで、キャリア史上最もギターが弾けているのだ。この2つのツアーでのコイツは、リズム・ギタリストとして「上手い」、と言える程なのだ。

再度、記すが、コカインもだが、特にヘロインは末梢神経をも破壊してしまうことから、もうギターをまともに弾くことができなくなるのだ。

だが、「ハード・ジャンキー」であるはずのコイツは、キャリア史上最もギターが弾けているのだ。

頭が空っぽなコイツは、噂が一人歩きをし、アウトロー気分に浸り、商売人のミック・ジャガーがそれを売り物にしただけだと、断定する。

普通レベルの常用者であったに違いない。

 

このクズが・・・・・・。

 

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「悪」を「バカ」に置き換え、牙突を喰らわしてー。

 

話が横に逸れたが、ジミー・ペイジの重度のドラッグ癖はその後も改善されることなく

 

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1979年のネブワース・ライブ(私の師匠が観に・聴きに行った)

 

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1980年の小規模な欧州ツアーを経て、ボンゾの死をもってZEPは解散。

 

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1983年のロニーレイン・ベネフィットライブでもボロボロの姿を見せ、ボロボロのプレイを聴かせたが、その全米ツアーの途中で友人のジェフ・ベックからドラッグと縁を切るように諭され、このツアーを終えた後、やっとリハビリ施設に入ったジミー・ペイジ

しかし、エリック・クラプトンがそうであったように、ハード・ジャンキーから足を洗っても待っているのは、ハードなアル中。この時期、イギリスではまだアル中になることなく、ドラッグからクリーンになる方法が広まっていなかった。

 

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アル中で醜態を見せたジミー・ペイジ。アウトライダー・ツアーを終えて、アル中リハビリ施設に入りました。

 

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ペイジ&プラントでの完全復活まで長かったです・・・・・・・・。