ROLLING STONESとの決別

私は、中1の時に『サム・ガールズ』を出し、全米ツアーを行っていたROLLNG STONESを聴いて、大ファンになり、2016年の夏頃まで愛し続けていた。38年間。

ロック・バンドとしては、LED ZEPPLINの次に愛していた。38年間。

 

ブルースを基に、基本、3コード三昧の永遠のワンパターンでありながらもSTONESを愛していた。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20180917101859j:plain

 

歌も演奏も呆れる程に下手くそであるが、ブルースで鍛えたからこそ、あの凄いグルーヴ感を出せるSTONESが好きだった。

 

そして、『ベガーズ・バンケット』と『イグザイル~』で解るように、ブルースのカバーをやっても、ミック・ジャガーのバランス感覚が凄く、古くさくないところが凄い。

ブルースのカバーは、エリック・クラプトンを除いて白人ミュージシャンが行うと古くさくて仕方がないのが難だが、ミック・ジャガーが偉かった。

60年代は、ブルース(或いは、ブルース・ロック)の時代だが、ピーター・グリーンもマイク・ブルームフィールドもその他大勢の連中も時代の流れと共に風化してしまった。

ミック・ジャガーが偉かったので、STONESのブルースは風化しなかった。

 

LED ZEPPELINの場合には、ブルースを対象化し、自らの白人音楽としてのロック確立の為の構成要素としたのが極めて斬新であったことから、風化しなかった。2018年の今日まで、現在進行形であるところが凄い。

ジミー・ペイジは、本当に偉かった。

但し、そうしたZEPPの姿勢がクラプトンやキース・リチャーズと言ったブルース純粋主義者の癪に障り酷評され、雑誌「ローリングストーン」を中心に酷評を浴びたが。

ブルース純粋主義者や時代は、如何に黒人ブルース・メンの様に、ギターを弾き、歌えるかが課題としていたのだ。

されど、ZEPPジミー・ペイジの圧倒的勝利に終わったことは歴史が証明している。

 

だが、2016年の初秋か晩秋か初冬か忘れたが、キース・リチャーズ

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20180917102345j:plain

 

LED ZEPPELINをして

 

「ジミーはいい奴だ。だが、俺はLED ZEPPELINが大嫌いだ。解るだろう? 空っぽだからな」

 

などとほざき、その年の終わり近くにSTONESがブルースのカバー・アルバム、『ブルー&ロンサム』を出し、「I Can't Quit You Baby」もカバーしていた、が。

完璧に古くさくて聴けた代物ではなかった。

ミック・ジャガーの才能も枯渇したことを実感した。

だけど、キースが

「(I Can't Quit You Baby)ってのは、こうやってやるもんなんだぜ」、と言いたげな状態であったことから、私は

 

「Hey、キース! 空っぽなのは、おめーの頭だぜ!」

 

と、キースとSTONESと決別をした。

 

私は、もうキースの知能の低さに呆れ果てると同時に、キースの裸の王様ぶりに絶望したのだ。

 

そして、私は昨年の夏に何とはなしに、冷めた頭でSTONESの『ベガーズ・バンケット』~『サム・ガールズ』までを一気聴きした、ら。

 

その余りのしょーもなさに絶句してしまった(グルーヴ感だけは認めるが)。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20180917110056j:plain

 

しょーもないと思った理由は、音楽の幅が余りにも狭すぎるからだ。

ブルース純粋主義者(キース・リチャーズ)を抱えていると、どうしてもそうなってしまう。

ミック・ジャガーが、『アンダー・カバー』でヒップ・ポップもやれない楽器隊に嫌気がさし、ソロ活動を行った理由が、改めて強くよく解った次第。

 

2chのスレ・タイトルに、【ローリングストーンズは知的障害者の為の音楽】、と言うのがあったが、同意した次第。