はっきり言う。BEATLESは、ゴミ!

今回は、BEATLESをけなしまくることから、ズートルビ原理主義者はこの先、読む必要なし。

 

私は、小学6年生の春にロックに目覚め、それから程なくしてクラスメイトからBEATLESの『アビー・ロード』のレコードを貸してもらって聴いて、(ふ~ん、すごくイイな)、と思った。

そして、初夏近くに初めて買ったロックのレコードが、『アビー・ロード』。

私は、何度となく小さなポータブル・ステレオに『アビー・ロード』を乗せて聴いたものだ。

私は「カム・トゥゲザー」、「アイ・ウォント・ユー」、「ビコーズ」を気に入っていた。

この『アビー・ロード』、B面の【アビー・ロード・メドレー】が有名であることは知っていたが、私はどうも好きになれなかった。

その後、私は『レット・イット・ビー』を買って、聴いた。

(なんじゃ、こりゃ・・・・・・)

『アビー・ロード』の曲はバラエティに富みながらも、アルバム全体の統一感を感じたのに対し、『レット・イット・ビー』ではソング・ライターのジョン、ポール、ジョージの3人がバラバラで全くアルバムの統一感がないことに失望したし、誰もが好きな曲に挙げる「レット・イット・ビー」、「ロング・アンド・ワインディング・ロード」、「ゲット・バック」を好きになれなかった。嫌いだった。「アクロス・ザ・ユニバース」もイヤだった。

ただ、私は、「レット・イット・ビー」、「ロング・アンド・ワインディング・ロード」の2曲については

(あ、日本人好みの歌謡メロだから、みんな好きなんだ)、と気がついた。

※『レット・イット・ビー』が4人の分裂状態でつくられたことは、翌年に知ることになる。

 

ただ、私が小6当時(1977年/昭和52年)には、ロックと言ったらBEATLESこそがNO1であり、神聖にして犯すべからず存在、と言う風潮が極めて強かったのだ。

だから、私は、BEATLESの全アルバムを買って、聴いてみようと思った。

BEATLESって、すごいんだよな・・・・・・)、そういう思い込みがあった。

 

ところが夏休みに入って間もなく、『アビー・ロード』を貸してくれた友人にLED ZEPPELINのライブ・バージョンの「ロック・アンド・ロール」、「セレブレイション・デイ」を聴かされ、ZEPPに人生をひっくり返されることになったのだが、その後、私は、BEATLESZEPPのアルバムを頑張って買って、聴いた。

ZEPPのアルバムは、翌年、5月末に『フィジカル・グラフィティ』買って、聴いて、ZEPPを制覇した。

BEATLESのアルバムは、同年、7月末に『マジカル・ミステリー・ツアー』と『ヘイ・ジュード』を買って、聴いて、BEATLESを制覇した。

 

それで、私は奇しくもLED ZEPPELINBEATLESを並んで聴いてきたことになるのだが、それが奏功した。

詳細は、後で述べる。

ただ、ZEPPの全アルバムとBEATLESの『ヘルプ!』までを聴くと、BEATLESのビートのしょーもなさ(ビートが、ひ弱)にうんざりしたのだ。

 

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バック・ビートが無い(ことはないが、余りにも弱すぎる)ことに、辟易した。

対するLED ZEPPELINは、バック・ビートがとんでもなく強烈!

また、BEATLESには、『SGT・ペパーズ』まで、全くブルースを感じず、それもイヤだった。

 

この間、私のロックに対する知識はかなり増えていたし、ジェフ・ベックエリック・クラプトン(クリーム、含む)、ジミ・ヘンドリックス等々も聴いていた。

 

それで、その年、中1の夏休みに、ローリング・ストーンズを聴いて、ハッキリ解ったことがあった。

 

それは、BEATLESは、『ヘルプ!』まではアレンジャーのジョージ・マーティンが、ソウル・ミュージック等から引っ張ってきたコードを用い、それまでに無い新しい音楽の形を成していたのは良いが、根っこにブルースが無いバンドだから、曲をプレイしてもバック・ビートがしょーもない(ビートが、ひ弱な)ことだ。

 

そして、1965年にヤード・バーズを脱退したエリック・クラプトンがブルース・ブレイカーズに入り、ギャイーンッッ!!、と、オーバードライブ・サウンドを出し、そのギャイーンッッ!!が、イギリスでブルースやリズム・アンド・ブルースをロックに変え、アメリカでロックン・ロールやロカビリーをロックに変え、時代は、ロックに突入していく。

 

これには、ジョージ・マーティンも焦ったに違いない。

頭が長嶋茂雄ポール・マッカートニーも焦っただろう。

 

まあ、そのBEATLESも『リボルバー』でポップ・バンドからロック・バンドへの転換を試みたのだが、失敗。BEATLESの4人は、演奏能力が余りにも乏しすぎた。

それで苦肉の策として出したのが(サイケの風潮もあったので)『SGT・ペパーズ』。

 

ここまで書いてきて、BEATLESの余りのしょーもなさに辟易してきた。

しかし、誰かが言わねばならない。

ともかく、BEATLESには、根っこにブルースがないところに演奏能力が乏しいが故に、ビートがどうしようもなく弱い、だから、BEATLESはしょーもない、と言うことだ。

 

ところが、上手い具合に4人をまとめてきたブライアン・エプスタインが死んだ。

 

そして、4人はバラバラな方向に向かうのだが、ジョン・レノン、彼だけがすごかった。

ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』が、バラバラながらも緊張感溢れるロックなアルバムになったのは、ジョンが好き放題にやり、暴走したからだ。

 

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だが、ジョンの佳曲、「アイム・ザ・ウォルラス」を含みながらも『マジカル・ミステリー・ツアー』から、またBEATLESは沈滞・・・・・・。

 

ところが、『アビー・ロード』において、4人のベクトルが一方向につながり、最後に本当な意味でロックなアルバムをつくることができて、BEATLESは「永遠のバンド」となることができた。

但し、3分間ポップ・ミュージックの領域を抜け出せていないことを言及しておく。

だが、日本人は3分間ポップ・ミュージックが大好きだ。安室奈美恵が未だに大人気なのが、それを証明している。

 

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この『アビー・ロード』があるとないとでは、BEATLESの評価は180度変わってしまうのだ。『アビー・ロード』がなくば、BEATLESは60年代を席巻したポップ・グループで終わってしまっただろう。

 

これは、私がBEATLESLED ZEPPELINと並行して聴いてきたから解ることだ。

 

されど、人間、ミュージック・ライフにおいては原体験が大きくモノを言う。

ズートルビ原理主義者の爺ィ、婆ァは、また、私と同世代、年下のズートルビ原理主義者どもは、LED ZEPPELINを頑なに排除する。LED ZEPPELINを排除することによって、BEATLESを常にNO1の座に置いている。

理由は簡単。LED ZEPPELINを認めてしまったが最後、BEATLESを押入の中に放り込むしかないからだ。過去の遺物として。

私と同世代、年下のズートルビ原理主義者は、皆が皆、ポール・マッカートニーの曲でBEATLESファンとなった。ポールの曲の8割はバッハのパクリだが、何と言ってもガキにもバカにも解りやすいし、歌メロが日本人好み。

ただ、ジョージ・ハリスンがウイングス時代のポールをして

「ポールは、ガキ向けの曲ばかりつくっている」、と軽蔑したが、私は

BEATLES時代からじゃん)、と思って、ポール・マッカートニーを全く相手にしていない。

 

ついでながら書いておくと、先に私はアレンジャー、ジョージ・マーティンがソウル等から引っ張ってコードを用い、と書いたが、そのほとんどがパクリで、アメリカ受けする為に、徹底的にシンプル化を図ったのだ。

 

言ってしまえば、BEATLESとは、【ジョージ・マーティンがつくった虚構のバンド】なのだ。

 

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だから、ジョン・レノンは、『ジョンの魂』で

BEATLES(なんてインチキ・バンド)を信じるな」

と歌ったのだ。