はっきり言う。QUEENはゴミ!

今日はQUEENをけなしまくることから、QUEENファン、映画『ボヘミアン・ラプソディ』でQUEENを好きになった人は、この先、読む必要なし。

 

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前に書いたが、私のロックの入り口はQUEENとKISSであった。あと、書き忘れたが、BEATLESもだった。私のギターの師匠も同様だった。

私と師匠に、BEATLES、KISS、QUEENでロックの扉を開いてくれたのは、Kくんと言う友だち。そのKくんにLED ZEPPELINも聴かされ、人生があらぬ方向に転んだのだが、私も師匠もZEPを聴くと、どうもBEATLES、KISS、QUEENが余りにも物足りないのだった。

 

その理由を書くと、『はっきり言う。BEATLESはゴミ!』の稿で述べた様に、3つのバンドとも、バック・ビートが無くはないが、余りにもか弱いからだ。

それで困ったことに、QUEENやKISSより、『HELP!』までのBEATLESの方がウラも一応取れることから、まだバック・ビートが活かされているのである。これは一重にソウル・ミュージック等から引っ張ってきたコードを用いたジョージ・マーティンの力なのだが。

 

ここからQUEENのみに的を絞ると、デビュー・アルバムとセカンド・アルバムでのQUEENはギター・バンドであった。しかし、ブライアン・メイがChar(竹中尚人)の様な天才ではなく、ブルースに無縁であったことから、ウラを取れずにオモテばかりから入るのが目立つ。加えて、ロジャーのドラム、ジョンのベース、すなわち、リズム・セクションが余りにもしょーもないから、バック・ビートがほとんど無いのだ。

これは一重に、ブライアン・メイというギタリストの限界であり、その限界が解散まで、果てはQUEEN+ボーカリスト名義での今日まで続いているのだが・・・・・・。

3作目の『シアー・ハート・アタック』で「キラー・クイーン」がヒットしたことから、バンド内で下克上が生じ、QUEENフレディ・マーキュリーのバンドになり、完全な歌モノ・バンドへと変化する。

これが悪かった。QUEENはメンバー全員がソング・ライターだったが、フレディはピアノで作曲をすることからウラも何もあったものじゃない。曲がバラエティに富んでいるのは良いが、オモテからの曲のオンパレード・・・・・・。

 

QUEENが一度目の解散危機を迎えた時に、フレディが半ばヤケクソで創った「愛という名の欲望」が皮肉にも全米で大ヒット。『ザ・ゲーム』も売れた。

その後、ジョン作曲の「地獄へ道連れ」でファンク・ビートを導入したが、ZEPの「クランジ」とは違い、バック・ビートが無く、音楽を知っている人には悪夢の無惨な曲でしかなかった。

 

それからのQUEENは、80年代という軽薄な時代に媚びを売った、大衆に媚びを売った軽佻浮薄なポップ・ミュージックを作り続けた。創る、ではない。作るなのだ。創造性など全くない軽佻浮薄なポップ・ミュージックでしかなかった。

 

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QUEENには、BEATLESでの『アビー・ロード』はおろか『ホワイト・アルバム』すらさえが、無い。

QUEENとは、女・子どものバンドでしかない。

 

 

以上が、QUEENがゴミである理由だ。

 

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しかし、だ。

 

1985年に『LIVE AID』が放送された時に、日本でQUEENのステージは回線障害、TVのCMでズタズタに切り裂かれ、2003年に『LIVE AID』のDVDが発売され、QUEENのステージを見ることができた、のだが。私は

(フレディ、すげー)、と思った。

QUEENが凄かったのではない。フレディ・マーキュリーという稀代のエンターテイナーを凄いと思ったのだ。ウェンブリー・スタジアムの観客と一体化しうる稀代のエンターテイナー、フレディ・マーキュリー

 

私のその感想が正しかったことは、映画『ボヘミアン・ラプソディ』で証明された。

 

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田舎、あるある(笑)!

今年の1/3のアクセス数は何と1,687を記録した。こんなギター、音楽、オーディオ(最近、書いてねーな)を素材にしたブログへの訪問者は如何なる方々なのであろうか?

そう言えば、ネットの或るところでジミー・ペイジのギター・テクについて、筆者が書いたものを一部書き換えただけで説明しているものがあった。いや、私はパクリなどとは一切、言わない。むしろ、どんどん拡散してほしい。ジミー・ペイジほど、B'zファンとかの連中に貶められているギタリストはいないのだから。

 

さて、去る昨年の12/1に朝早い新幹線で娘が東京から帰省してきた。娘が小中学校のクラスメイトの結婚式にお呼ばれしたが故。そうしたら、私と神さんは大笑い。直ぐに娘の話をICレコーダーに録音した。

 

因みにKO大経済学部卒の私は40歳になった年まで、東京で誰もが知る大企業で海外戦略室の室長の要職に就いていた。その年に父が急逝したことから、私は地元の(その大企業の)関連会社の取締役部長に就任し(無論、根回しをして)、帰郷した経緯がある。ところが、専務になっていた私は、アホの社長と大喧嘩をし、47歳になる年に会社を辞めて、FXトレーダーとして生計を立てている(←これを自営業って言うんかい)。このアホ社長はディープ・パープルとレインボー、リッチー・ブラックモアが命だった。水が合うはずがない。流石、千葉大卒。私は一橋大の経済を滑り止めにしてKOを受験した。ふふん。

神さんは私の6歳年下で、彼女がお茶の水女子大在学中にライブ・ハウスでジャズ・ピアノを弾いているのを聴いて、その凄腕に感心。ところが彼女が大学4年生の時に妊娠、でき婚。生まれたのが娘。

私はジャジーでブルージーでロックでソウルフルでファンキーでクラシカルな人生を歩んでいる。

 

ここから娘の結婚披露宴お呼ばれ騒動に入る。娘は、披露宴の招待状を手にした時にイヤな予感がしたと言う。娘は、その予感に従い、仕事が忙しいことを理由に断れば良かったのだ・・・・・・。

 

私も似たような経験があるのだが、地元がまあまあそれなりの田舎である以上、これ「田舎あるある」となるのだが、人間関係の枠が超狭いものだから、地元の人間は皆が皆、興信所の人間の様なものであり、また、娘の世代になると「友達の元々々カノが別の友達の元々カノで後輩の元カノで友達の兄ちゃんの今カノ(元々カノと今カノは親友で元々々カノの姉ちゃん(元カノの同級生))」みたいなことが滅茶苦茶あるのだ。いや、マジで。娘の世代(もう少し上からか)は、もう勉強ができない中学生たちは性のテロリストになり、無差別エロ攻撃。親もヤバイ。PTAつながりの異性の親同士が交わるのだ。私も私のギターの師匠もPTAつながりで他の美人な母親とヤッてしまったのだから。幸い私の娘は勉強ができたから、高校卒業までは生娘であった。娘は私の大学の後輩に当たる。息子は高校生の時に地元の女子大生相手に筆おろしをしたが。息子は東大に現役で入るくらいに勉強ができたのだが、自分の猛り狂うムスコを抑えきれず、男なら正しく高校卒業までに脱童貞を果たした。あれ? 何の話だっけ? すなわち、こんなことを親である私が知っているほどに、皆が皆、興信所の人間の様な状態、と言うこと。とにかく、まあまあそれなりの田舎では一般的に「学校」が性の牧場と化しているのだ。学校が『性なる館』。カトリック系の私立女子中高校までがそうなのだ。キリストは姦淫の神様か。いや、そうだろう。クリスマス・イブやクリスマスには皆が皆、性の大渦に耽溺する。男は女と自分の為に一斉に腰を振る。全国で。これは私の若かりし頃からそうだった。『一人きりのクリスマス・イ~ブ♪♪』。あり得ない、絶対に。

 

娘は新郎・新婦と中学の3年間クラスメイトだったのだが、双方が性のテロリストで中学はおろか高校(新郎・新婦は別々の高校に進学、娘は進学校で別)でも娘が言うにはドチャクソ、性の化け物、松坂大輔も裸足で逃げ出すほどの平成の怪物とのこと。しかも、披露宴会場に集った人間の4割が新郎or新婦とチン・マンの関係をもっているらしい。だから、新郎・アキトの元カノ(クラスメイトでハルカとは親友)とか新婦ハルカの元セフレ(クラスメイトでアキトとは幼馴染)とか普通に参加しいたらしい。娘が「いやお前らどんな顔して来んの??? って思ってたら、つら〜っとアホみたいな顔して」

 

『え〜〜〜〜ハルカぁぁ〜〜〜おめでと〜〜〜〜! わぁ〜〜〜超キレイ〜〜〜〜! 泣きそう〜〜〜〜〜』

 

『ありがとう〜〜・・・。アユミのおかげだよ〜〜〜〜!』

 

とか

 

『アキト・・・・・おめでとな・・・・・・まさかお前に先越されるとはなぁ……幸せになれよ・・・・・!』

『俺らの関係終わるわけじゃねぇからな・・・・・! また飲み行くぞ・・・・・!』

 

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(写真はイメージです)

 

「とか、どういうつもりでやってんのそれ??? やっば。ヤバぁ。さすがにイカれてんのかこいつらと思ったわ。サイコよサイコ。あ、サイケかなぁ。そう、サイケ! もう、どいつもこいつも、シド・バレット! 入場でbank bandの『糸』流してんじゃねぇよ。なにが『縦の糸はあなた、横の糸は私』よ! グッチャグチャに糸絡まりあってんじゃねぇの。『縦の糸はアキト、横の糸はハヤト、斜めの糸はユウキ』じゃねぇの。あいつらが敷いた布の数ヤバいことになってるわ。

あと、何だあのスライドショー! 『365日の紙飛行機』に合わせてしょうもねぇスライドショーやってんじゃねぇよ。ったくぅ! 中学当時のクラスの仲間で集まってる写真見て愕然としたわ。写ってる(私以外の)全員がアキトと『なんかある』でしょうよ。それに、ハルカなんて穴とヌキの女王よ」

 

風呂上がりにビールを飲みながら完全にオヤジ化して話す娘。

神さんが

「穴とヌキの女王なんて、はしたないこと言わないの!」と言っても、オヤジ状態のままの娘。

「だって、ハルカなんてWワークで風俗やってたらしいもん。『T・O』ってところで。これは私が大2の夏に帰省した時に聞いた確かな情報!」

その娘の言葉にビクッとした私。

(あの『T・O』のイクミってコがハルカちゃんか・・・・・? イクミ・・・・・、そう言えばハルカちゃんに似ていた、確かに似ていた!)

私が固まった刹那、私の背筋に肘打ちを喰らわせた神さん・・・・・・。

私は神さんの痛い視線にめげずに、'73・D28を持ってきて弾き語りで

 

「怖ィィィイイイくらぁぁああい! 覚えてるのぉ〜〜〜〜〜〜! あなたのニオイやぁあああああああ! しぐさやすべてをぉぉオオ〜〜〜!! ♪♪♪♪♪」、と、アドリブで歌った。

 

「そう! それよ! お父さん!」、と娘。だが、神さんの視線が痛い・・・・・・。

「ってほんとに怖い。ほんんっっっとに怖い。でも『あなた』って多すぎてわかんねーし」、と娘。

 

「じゃあそのスライドに合う曲は『365日の紙飛行機』じゃなくて鳥羽一郎の『兄弟船』だろうが。ハルカのぉぉぉ〜〜〜谷間にぃ〜〜〜〜〜〜命の花ァァァがァァァァァあああ!!!!!」、と私。頷く娘。

 

いや、何が一番怖いって、田舎って親同士もだいたい同級生とかで滅茶苦茶仲が良い。だから、そういう子どもの事情、親にもほぼほぼ筒抜け。いや、お父さんお母さん、ぶっちゃけどう思ってます??? アキトの元カノの親と元々カノの親(両方ハルカの友達)いっしょの席にしてんじゃねぇよ、ホラーかよ・・・・。いや、サイケか・・・・・?

 

「しかもねぇ、アキトは高校1年生の時に、ハルカのお母さんとヤッちゃったのよ! あの二人の関係、しばらく続いたような話を聞いたわよ」

 

娘の言葉に私と神さんは絶句した。。。

 

4本目の缶ビールを冷蔵庫から出してきて、オヤジ状態の娘が言う。

「何なんだよ、あいつらは。いい??? 仮にあいつらの関係性をドラマの相関図みたいに矢印引っぱってったらおっそろしいことになってるわよ。良かったなぁぁ? あいつらのラブ・ストーリーがドラマになってなくて。1クールじゃ絶対に収集つかねぇよ。『北の国から』レベルの長期スパンでやらないと描ききれないから。見どころは『'10 四股(よんまた)』かなぁ、やっぱり。。。HUNTERXHUNTERのキャラクター相関並に複雑だから。マシンガンの如く矢印飛び交ってるわ。ハルカに至ってはキュベレイかよってくらいオールレンジに矢印伸びてるし。あいつを中心にPerfumeのアルバム『Future Pop』のCDジャケットみたいになってるわよ」

 

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PCでAmazonで、Perfumeとやらの『Future Pop』のCDジャケットを調べて見たら、絶句した私。PCを私の背後からのぞき込んで、絶句した神さん・・・・・・・・。

 

しかし、娘よ・・・・・。クラシックとジャズ、レッド・ツェッペリンジェフ・ベック、ソウル・ミュージックで正しく育った君、いつPerfumeなんて覚えたんだ・・・・・・? お父さんとお母さんは不安だぞ・・・・・・・。

 

だが私はこれを記した後で、英米のロック・スターの『穴兄弟』関係、グルーピーの『マラ姉妹』関係を想起した。例えば、エリック・クラプトンベベ・ビュエルを中心とした相関図というか矢印をつくろうものならば、Perfumeの『Future Pop』のCDジャケットどころではないのだ!

 

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ベベ・ビュエル。グルーピーとして最初に床を共にしたビッグ・スターが誰であるかは知らないが、トッド・ラングレンの女になり、その後、ジミー・ペイジに走った。それから後は、スティーブン・タイラーの女になる。

 

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ジミー・ペイジベベ・ビュエルの貴重なフォト)

 

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そして、ベベは、スティーブンの子を身籠もるも彼のドラッグ癖に耐えられず、トッドの元に戻り女の子を出産。トッド・ラングレンはその子の育ての父親になる。だが、再び、 ベベはロッド・スチュワートに走る・・・・・。その女の子はリブ・タイラーとして育ち

 

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ベルナルド・ベルトルッチ監督の映画「魅せられて」で主役の座をつかみ、「アルマゲドン」でもヒロインを務めた。 

それは良いが、エリック・クラプトン。パティ・ボイドに惚れる前から、パティをジョージ・ハリスンから奪った後も、そしてパティとの離婚後も、もう女、手当たり次第!

 

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パティ・ボイドは妊娠しにくい体質であったことから、愛するエリックの子どもを身籠もりたいが故に、一生懸命に不妊治療に当たっていたらしい。

そんな健気なパティの心を弄ぶかの様に、イタリア人女優と不倫関係を続け、そしてその女に産ませたのがコナーくん。そう、高層ビル(マンション)から転落死し、エリックに『ティアーズ・イン・ヘブン』をつくらせたあのコナーくん、なのだが、私はパティが不憫でならない。

 

エリックがジミー・ペイジを一方的に嫌っている最大の理由は、シャーロット・マーティンにあると見ている。シャーロットはクリーム時代のエリックの「女の一人」。だが、そのシャーロットがZEP結成間もないジミー・ペイジの元へ走り、後にスカーレットを出産。シャーロットはエリックの数いる女の一人に過ぎなかったのだが、『何でも俺様・一番』でないと気がすまないエリックは、「おにょれ、じみ~っっ!!」、となり、ジミーを嫌いだしたものと思っている。

 

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また、エリック・クラプトンは、イヴォンヌ・エリマンを筆頭に綺麗どころのバッキング・ボーカリストにも手を出すことで有名だが、パティ・ボイドと結婚中にイヴォンヌに子どもを生ませたり

 

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1988~2003年頃までバッキング・ボーカリストを務めていたテッサ・ナイルズ

 

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や、ケティ・キースンとも関係をもっていた。因みにテッサ・ナイルズはエリックの前にはポリスの1983・シンクロニシティ・ツアーでもバッキング・ボーカリストを務めており、スティングと関係をもっていた。

 

とにかく、英米のロック・スターとその周辺の女を巡る相関図を作ろうものならば、とんでもない作業になる。

 

ベベ・ビュエルはこうした『女』の象徴であったから記したが、英国はイタリア、フランス、オランダ、ドイツ、スウェーデン等々とは、まだひと味違ったフリー・セックスの国だ。だから

 

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フレディは、このハード・ゲイ・ルックでカミング・アウトすることが可能だった。

 

存外、上記した娘の『結婚披露宴お呼ばれ事件』、英国人にしてみれば、「何? そんなの」、で終わってしまうものなのだろう。

 

いや、だけど、エリック・クラプトンの女好きさは病気のような気がしてならない私です・・・・・・。

 

多分、このブログの訪問者にはZEPファン、ジミー・ペイジ・ファンが多いと推察しますが、ジミー・ペイジで締めくくろうと思うのですが、彼の場合、シャーロット・マーティンは子どもまで産ませたことから、彼女が特別な存在だったに相違ないと思います。が。

 

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このロリ・マドッグスはジミー・ペイジの米国での恋人となった時には14歳!

当時、英国では未成年者との性交渉を罰する法的規制はなく(流石、フリー・セックスの国)、英国人であるジミーはロリを簡単に受け入れましたが、米国内では御法度! 国外追放ものでした。ZEPの全米ツアー中、警察当局がホテルの部屋に来ようものならば、ドラッグを隠すだけでなく、ロリちゃんをも隠したそうな(笑)。

 

真偽の程は、ジミーかロリに訊くしかないのですが、ロリはグルーピーにあっては珍しく処女だったとか? だから、ジミーは黒魔術の黒ミサにロリをルシファーへの生け贄にした後で、美味しく頂いたとの話が未だに米国に残っています(笑)。

 

まあ、ジミー・ペイジの場合、ロリちゃん、ベベ・ビュエルも含めて女遊びは1975年までなんです。77年USツアーには泥沼のヘロ中でインポ状態だったでしょうから。あ、出したくなった時には大量のコカインを服用して勃たせたんだろうなぁ。その時にはロリちゃんが介添えをしたのかな?

あ、でも薬物依存を克服した84年以降~88年がありますが、その頃はエイズHIV)問題があったからグルーピーも人気&大金持ちミュージシャンから遠のきましたね。

 

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写真中央が、ジミー・ペイジの愛娘、スカーレットちゃん。

 

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黒魔術も含め若い頃にやりたいことを散々やったジミー・ペイジ

その後、ジミー・ペイジは2回結婚をし、息子を含む数人の子宝に恵まれていますが、筆者とギターの師匠は、入籍していない事実婚だと推察しています。入籍していて離婚をしようものならば、ミック・ジャガービアンカやジェリー・ホールに巨額の慰謝料を取られたように大ニュースになるはずが、そうしたニュースがないことが、事実婚だと推察する所以です。

今では好々爺、英国貴老人となり、スカーレットより若い女性と4回目の事実婚関係を送っておられます。

(これは日本でなら大ニュース[大問題]だが、流石、フリー・セックスの国、イギリス! ~嗚呼、イギリスに生まれたかった)





 

 

やってくれたぜ! Gibson! (2)

いや、ちょっと自慢になってしまうことから、先の投稿では割愛したのだが、やはり書きたい。

昨年の3月に私はジェフ・ベックで有名なオックスブラッドの購入に踏み切った。

東京の某楽器店で試奏をし、OK、となり、付き合いも大事なことから地元の楽器店にオーダーをした。

ところが、である。私の手元に来るはずのオックスブラッド、雑誌の取材に問屋さん(?)が貸したらトップに傷がつき、問屋さんがGibson Japanを通してGibsonにオーダーすることになった。私の手元に届くのは早くて6ヶ月後・・・・・・。されども、Gibsonが破産申告問題で揺れており、私は1年間を覚悟した。

そうしたら、何と、2週間後に届いてしまったのである。

 

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購入手続きを済ませて自宅で弾いた。ら。

 

(/゜□゜;)/

 

サスティーンの伸び、倍音の豊かさ、音の艶、他がまるで違う、とんでもなく良いオックスブラッド!

 

あとは、昨年の2月に、私はES335を買い換えた。

ES335はフルアコ共々、Gibson・メンフィスで生産されているが、ナッシュビルのCSが作ったES335で、私がそれまで使っていたメンフィス・ES335とは全くの別物。

サスティーンの伸び、倍音の豊かさ、音の艶、他がまるで違う、とんでもなく良いES335!

地元の楽器店で購入。

 

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先のTrue Histric 59レスポール共々に

(¬ ¬)

何でこんなに音がいいんじゃい? と思っており、True Histric 59レスポール共々、昨年9/25に先の稿で書いた准教授に調べてもらった。ら。

 

オックスブラッドのボディ&ネックのマホガニーホンジュラスマホガニー、トップのメイプルもホンジュラス産。指板はマダガスカル・ローズウッド。

トップのメイプルは、先のTrue Histric 59レスポールでも書き忘れたが、4Aで、「昔で言う」ハードロック・メイプル。

こんなド偉いオックスブラッドのリイシューが来てしまったものだから、人生、何が起こるか分からない・・・・・・。

私の師匠は、本物の54年レスポールを塗装(上塗り)をし、ハムバッカーに換えて、オックスブラッドにしたのだが、いやいや、すみません、師匠。

 

そして、ES335。ボディのメイプルが4Aのメイプル(ホンジュラス)で、ネックはホンジュラスマホガニー、指板はハカランダ!

こんなES335、あり得ない、のだ。師匠は、このES335を欲しくて仕方がなく、手持ちのビンテージの’63・ES335と交換しよう、と言ってきた。

「ほら、エリック・クラプトンがクリームで弾いてたやつと同じモデルだぜ」

と、師匠は言うものの、首を横に振る私。

 

Gibson本社に行き、J・M氏に尋ねたところ、オックスブラッドは、「たまたま気まぐれに作ったところ、日本から急なオーダーが入ったことから、輸出した」、とのことで、ES335は、「本来はレスポールのトップに使うはずだった4Aメイプル、ホンマホ・ネック、ハカランダ指板を使用してしまいたく、そのES335を作った」、とのこと。

「それらまで手に入るなんて君はラッキーだね」、と、J・M氏から笑顔で握手を求められた私。

 

いやー、人生、何が起きるか分かりません。

練習を頑張って、ギターに見合う腕をもつように、頑張ります。

やってくれたぜ! Gibson!

去る2016年6月中旬に私は東京の某楽器店で、選りすぐりのGibson True Histric レスポールの試奏をしていた。

これらのGibson True Histric レスポールは、従来のヒスコレ・リイシューより桁違いに音が良い。もう、別物だ。

ただ、何故か、True Histric レスポールでも価格帯によって音が違う。売値で100万円超えのものが滅法、音が良いのである。

それで、私は売値が・・・・・・104万円くらいのものを購入した。

 

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私が2016年1月にこのブログを開設した際に、ご挨拶がてらに掲載したレスポールは2014年のヒスコレ。2013年に大幅な仕様変更がなされ話題になった59レスポールであるが、もう上写真のTrue Histric 59レスポールの前では、弾く気にもならない粗末なレスポール

 

事の発端は、私のギターの師匠がその前年の2015年にTrue Histric 59レスポールを購入し、絶賛していたから。

前にもちらりと書いたが、師匠は本物の58、59、60レスポールを4本もっていると言う御仁。その人が、True Histric 59レスポールを手放しで絶賛していたのだ。

だから、私は、2016年にTrue Histric レスポールがドカッと入荷した6月中旬に東京の楽器店にまで赴いて試奏した次第。

 

しかし、私は昨年9月まで

(¬ ¬)

何故、こんなに音がいいんじゃい? と不思議に思っていた。

 

そして、9/25に、某国立大学工学部に、木材分析に秀でた准教授がいるのでアポを取って行った訳ですよ、True Histric 59レスポールを手にして。旦那さん。

 

そうしたら、ボディとネックのマホガニーホンジュラスマホガニーでトップのメイプルもホンジュラス産、指板はハカランダ! であることが判明!

本物の58、59、60レスポールと同じ仕様!

 

道理で従来のヒスコレ・リイシューとは音に雲泥の差がある訳だ・・・・・・。

 

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これが2014年、従来のヒスコレ・リイシュー。

 

そして、渡米してナッシュビルGibson本社を訪れた私。相手をしてくれたのは、J・M氏。写真撮影は一切御法度だし(当然か・・・・・・)、氏の名前も公表不可の厳戒態勢のなか、本社内を案内された。

私は、J・M氏に2015・2016年、True Histric レスポールについて、いろいろ尋ねた。

すると、指板についてはハカランダを使ったものと、マダガスカル・ローズウッドを使ったものがあるらしく、更には、幾ら生産本数の上限を定めて作ったとしても、その貴重木材を指板の全てに使うのは無理だったらしく、インディアン・ローズウッドのものもそれなりにあるらしい。

あと、ボディとネックのマホガニーには、フィジー産のマホガニーを使ったものもあるとのこと。

Gibsonは、過去にホンジュラスマホガニーやエボニー等々、輸入制限がある木材を極秘に仕入れ、税関(だっけ?)のブラックリストになっているメーカー。

だから、フェンダーやマーチンの様に、産地を謳えないという弱みがある。

 

師匠は、自分のTrue Histric 59レスポール、フィジー産マホと思っていたが、上記の准教授に調べてもらったら、ホン・マホで指板はハカランダとのこと。

 

昨年12月に催事でGibson Japanの人に会ったが、その人も、楽器店の者もホン・マホ、ハカランダ、マダガスカル・ローズウッドは知らなかった。

 

いや~、やってくれたわ、Gibson

頑張って、ギターに見合うだけの腕になりますっ!

LED ZEPPELIN 解散の内幕(2)

先日、LED ZEPPELIN解散の内幕について記事を書いたが、元NME記者との会話を録音したICレコーダーを繰り返して聴きながら書いていたので(これが疲れる)、書き忘れたこと、また、敢えて書かなかったことがある。

それらについて、今回は赤裸々に書く。

敢えて書かなかったことを、(書こう)、と思わせたのは、映画『ボヘミアン・ラプソディ』だ。筆者は神さん、娘、息子と大晦日に『ボヘミアン・ラプソディ』を観た。

映画のなかで、フレディがソロ活動に向かう際に、クイーンの他の3人を罵るシーンがあったが、極めて人間くさくて良かったと思った。

 

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それと同様なことが、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』レコーディング中にZEP内で生じていた。

情報の出所は、ジミー・ペイジのギター・テクニシャン、ジョン・ポール・ジョーンズのベース・テクニシャン、シンセ・テクニシャンの計3名で、その3名から異なる場所と時間に聞き出し、情報が全て一致したらしいので、話の信憑性は高いと思う。

 

筆者が敢えて書かなかったものは、スタジオ内で、ロバートが激怒し、涙を流しながらジミー、ボンゾ、ジョンジーを罵ったこと。

ロバートが激怒した理由は、「オール・マイ・ラブ」(ロバートの死んだ愛息に捧げられた曲)に、ボンゾが

「こんなシットなもの、LED ZEPPELINじゃねぇぜ! ファック!」、と、怒鳴り散らしたことに始まったらしい。

そして、ロバートもボンゾに怒鳴り返し、二人は大喧嘩。それからロバートはボンゾにこう言い放った。

「いいか、この俺がいなかったら、お前はしがない煉瓦職人だった!」

そして、ジミーに

「俺がいなかったら、お前は凡百のギタリストだったろうな!」

さらに、ジョンジー

「俺がいなかったら、お前はしょせん、しがないセッション・マンだったろうよ!」

 

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元NME記者のバーのマスターである彼は語った。

「君が言ったようにロバートはナルシズムが異常に強い。すなわち、自己顕示欲が異様なまでに強い、ということにつながる。けれど、77年USツアーまでのロバートの自己顕示欲はジミーに強力に抑えられていた。だが、その後の田舎暮らしでロバートの自己顕示欲が目覚めたのさ。バンド内においてジミー以上のスターになりたくなったのさ」

私は

「ジミーも派手な黒と白のドラゴン・スーツを着ていて目立っていたことから、自己顕示欲が強かったのでしょうけれど、ロバートの自己顕示欲の方が勝っていたのでしょうか?」

と、彼に訊いた。

 

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彼は、頷いた。その後で彼は話した。

 

「より重要なことはね、ロバートがバンドを辞めるという言葉に焦ったピーター(・グラント)がジョンジーとロバートの背中を押して曲創りを行わせた訳だが、ジョンジーとしてはジミーが仕事をできるようになるまでの時間稼ぎの曲創りに過ぎなかった、ということだ。ジョンジーは、ピーターにも内緒でポーラー・スタジオの賃貸延長を申し出ていたんだ。

そして、やっとジミーが仕事をできる状態になり、自分が思いついたギター・リフをボンゾと二人で練習を行った。従来の、LED ZEPPELINの曲創りのようにね。

そうしたらロバートが、ワイン・グラスやワイン瓶を二人に投げつけ、作業を中断させる有様。ジョンジーがロバートをなだめていたが、ジミーとボンゾが作業に入ると、ロバートが激怒し、作業を中断させてばかりだったそうだ。

結局、ジミーはやる気を無くし、『オール・マイ・ラブ』と『サウスバウンド・サウレズ』を除いては、ジョンジーの手を借りて曲を形にした。

ジョンジーは、完全主義者であるジミーがやっつけ仕事をしたことに驚いたらしい。しかも、終いにはA面の時間が余ることから、『ホット・ドッグ』なんてやっつけ曲をワン・テイクのみでジミーがやってしまったことにも、ジョンジーは驚いたそうなんだ」

 

私は

LED ZEPPELINとは、ボンゾが12気筒にツイン・ターボを加えたエンジンで、ジミーがステアリング、シフト・レバーとクラッチ・ペダル、ジョンジーが4つの足回りとタイヤ、そしてロバートがボディであった訳ですが、ボディのみが車体を引っ張ろうとした訳なんだ」、と言った。そうしたら彼は

「君は面白い表現をするね。でも、まさにそうだったんだよ」

 

「でも、そんな『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』が米国や英国で滅茶苦茶売れてしまったものだから、ロバートは有頂天、ジミーは奈落の底だよ」

彼は、そう言った。

 

私は

「夢の終わりだったんですね」、と呟いた。

 

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以上が、私が敢えて書かなかったことで、以下が書き忘れたこと。

 

80年欧州ツアーの際に、ジミー・ペイジのとてつもない薬物依存を心配したジョン・ポール・ジョーンズがドラッグをやめるように諭したら、秋のUSツアーを終えた後でジミーはリハビリ施設に入ることを承諾したそうだ。何でも、左指が動かない為に、ギター・プレイがボロボロであることに、さすがにマズイとジミーは思ったらしい。

 

だが、私も私のギターの師匠も、ZEPは80年代を乗り切ることは不可能だったと思う。

 

 

 

1977年&1979年のLED ZEPPELIN

いや、師匠に怒られたっす。先に、『1977~1988年のジミー・ペイジ』と題し、ZEP、77年USツアーの名演として4/27クリーブラントと書きましたが、4/28の誤りです。また、4/10のシカゴ・スタジアムも名演です。心からお詫び致します。

 

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これが、4/10、シカゴ・スタジアムにおけるジミー・ペイジの勇姿。

 

それで、ZEPのライブにおいて批判の多い1977年USツアー、1979年ネブワース・ライブですが、まあ批判をするのは勝手。

但し、以下のことを念頭に置いた上で、批判なされや。音楽を知らない無知で、且つ、頭の弱い人には理解できないであろうことを覚悟の上で、記す。

 

それに先だって、4枚目のアルバムの「ブラック・ドッグ」でジミー・ペイジは、ジョンジーが思いついたリフをボンゾと練習し、ギター・リフのみで複雑なシンコペーションを刻み、ボンゾが重層的にポリリズムでのシンコペーションを重ね、その上で、ペイジはセブンスやイレブンスを弾き、ボンゾのドラミングを足してシックスティーンにし、頭に戻る、という強力無比なリズムを形成した。

 

この「ブラック・ドッグ」で、リズム遊びの快感を覚えたペイジ、ボンゾ、ジョンジーの3人は、『聖なる館』→『フィジカル・グラフィティ(新録曲)』とシンコペーション変拍子ポリリズムと言う音楽の三要素(リズム、メロディー、ハーモニーじゃねえぞ)に凝りに凝って、『プレゼンス』で頂点を極める。

 

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もう、『プレゼンス』ではリズム遊びの臨界点を迎えるのだが、リズムが余りにも複雑化した為に、『プレゼンス』のセールスは米・英で伸びなかった。米・英人の多くは、シンプルなものを好む。それ故、セールスが伸び悩んだ。

 

そもそもが、LED ZEPPELINとはロック・バンドでは珍しい横ノリ・バンドだ(デビュー・アルバムから)。

それが、究極と言っても過言ではない『プレゼンス』でのリズム語法においては究極の横ノリ・ビートを提示してくれている。もう快感なのに、それを理解していない米・英人は哀れだ。

 

この『プレゼンス』で培ったリズム語法をライブに活かさない、過去の曲でも再創造し得るものに、そのリズム語法を活かさない手はないであろう。

 

そう、LED ZEPPELINの楽器隊の3人は、『プレゼンス』発売後の77年のUSツアーで、それを果敢に実践しているのだ。

 

但し、ジミー・ペイジがハードなヘロイン中毒であったことから、左指(フィガリング)がうまく動いてくれた日と、うまく動いてくれた時にしか、それは成功していないのだが・・・・・・。

例えば、6/25・LAは、ジミー・ペイジの左指が相当うまく動いてくれているのだが、「No Quarter」のギター・ソロにおいてペイジは、ウラを巧くとった上で複雑なシンコペーションを刻み、セブンス、イレブンスを弾き、シンコペーションを重層的に叩くボンゾのドラムを足してシックスティーンにする、と言う離れ業をやってのけている。ギター・ソロにおいてである。

 

6/21・LA(『Eddie』の日)では、それを「Sick Again」の最後のギター・ソロで展開している。ジミー・ペイジ、絶好調なり。

だが、去る12/21のMR・JIMMYでのライブにおいて、ジミー桜井はそれを弾けず、ベースと白人ドラマーも余りにもイモなので、まるで再現できていなかった。

だから、私と6歳年下の神さんは思いっきり白け、場所が後列の方であったことを不幸中の幸い、と思い、「Since I've Been Loving You」の途中で、リッツ・カールトン東京に帰り、激しいセックスを交わした。

そういや、昔のMR・JIMMYも今回のMR・JIMMYも縦ノリ・ビートだったぞ・・・・・・。

ジミー桜井って、頭が弱いんだろうな・・・・・・。

 

それはともかく、ジミー・ペイジの左指がうまく動いてくれた時、例えば、7/23・オークランドでは「Over The Hills and Far Away」のギター・ソロで、上記のものよりは少々単純ながらそれでも展開していて成功を収めているのだから凄い、と言わざるを得ない。

 

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実は、以下に、詳細にリズム語法について書いたのだが、余りにも長くなってしまい、また、専門用語も多数出てきて、神さんに

「これ読んだ人、解ると思う?」と訊いたら、「ん~、無理でしょ」と言われたことから、苦労して書いたのに削除した・・・・・・・・。

因みに、神さんはジャズ・ピアノ講師が主な職業である。

 

ともかく、ZEPは1979年のネブワース・ライブでも、8/4に、かなり成功させている。

 

参ったな。説得力なし。

 

これを読んだ貴方。楽器ができるなら、その上で、ジャズをたくさん聴いて下さい。

また、クラシックのストラビンスキー、ラヴェルラフマニノフを聴きまくって下さい。楽器ができる人が、それらを聴けば、私が述べたいことがよく理解できるものと思います。

 

ところで、このブログ、12月における1日のアクセス数が最低で291人、最高846人。

かなりの数の方がお読み下さっていると思いますが、申し訳ありません、この稿、失敗ということで。

( ̄人 ̄)

お赦(ゆる)し下さい・・・・・・・・。私、口は悪いですが、性格は良いとされていますので、今後とも宜しくです。

 

 

追記

 

書いたものをアップして読んだら、『聖なる館』以降は、曲もライブも、本当にペイジ、ボンゾ、ジョンジーの3人が主役で、ロバートの居場所がないっ! と言う事実に直面した。いや、実際には、ロバートのボーカルも楽器の一部で外せないのだけれども、それでも・・・・・・・・、脇役ではないし・・・・・・・、何と呼んだらよい存在なのか判らなくなりました。

これじゃあ、ロバートが謀反を起こしてもしょうがねえな、と思った筆者です。

LED ZEPPELIN 解散の内幕

今回は筆者が英国に行って確認を取ってきた、LED ZEPPELIN解散の内幕について記す。

但し、「確認を取ってきた」、と言うことから、知っている人は知っているであろうし、そうした方には決して真新しいニュース・ソースではない旨、予めお断りをしておく。

 

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筆者の日本の音楽業界に勤めている友人に、英国人の友人がおり、その人はたまたまNME誌の記者をしており、彼からその”元”記者を紹介してもらい、英国に赴いた際に、そのNME誌の”元”記者に会った。その人は筆者より4歳年長で、数年前にオアシスの評価を巡って上層部と喧嘩をし、辞表を提出。今は、ロンドンで落ち着いた雰囲気のバーのマスターをしている。

 

これは筆者にとって重要な会話になるので、愚息の英国人の友人に通訳を依頼した。

 

カウンター席で私は彼に挨拶をしたあと、日本では馴染みのない美味しいスコッチをオン・ザ・ロックでオーダーし、彼の方から切り出してきた雑談を交わした後で本題に入ることが出来た。

 

因みに、LED ZEPPELINの解散はジョン・ボーナムの死、と言う至極当然のことが直接要因ではあるものの、「ボンゾの死」以前にLED ZEPPELINは末期状態にあった。

 

先ず私は、1975年から顕著になったジミー・ペイジのドラッグ問題を彼に訊いた。

 

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それについて彼は

「確かにジミーは75年のUSツアーから重度のヘロイン中毒に陥ったけれども、『プレゼンス』の制作や、77年USツアーのリハーサルの時期まではバンドの人間関係は良好だったよ。もっともロバートはバンドのライブ・パフォーマンスに不満をもっていたけれどもね」

と言い、私が

LED ZEPPELINは器楽性が極めて強いバンドですからね」、と言うと彼は頷き

「ロバートは楽器隊が主役で自分のボーカルまでが楽器の一部、と言うことに強い不満をもっていたらしい。だが、ロバートはボスであるジミーに頭が上がらなかった。

けど、こうしたことは些細ないざこざだよ。兄弟喧嘩のようなもの。

ただ、いざUSツアーが行われて、当初はまだ良かったけれど5月中に徐々にバンドの人間関係がジミー&ボンゾ/ジョンジー&ロバートに分裂して行った訳だ。でも、亀裂が生じたというレベルではなかったようだね。

ジミーのドラッグ問題は確かに深刻ではあったが、70年代なんてクリーンでいるロック・ミュージシャンなんて極僅かしかいなかったんだから、バンドが崩壊する原因にはならなかった。

しかし、ジミーのドラッグ問題も交えて、バンド崩壊への道の歩みは、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』レコーディング前のセッションに、ロバートがバンドに戻る時から生じたんだ」

と語った。そこで私は

「ロバートがライブで長尺なギター・ソロやドラム・ソロをやめることを条件にバンドに戻ったという話を聞いたことがありますが、それは本当だったんですか?」、と彼に訊いた。

彼は、「本当だよ」、と頷いた。そして彼は何と私に

「ロバートって、どういう人間だと思う?」、と尋ねてきた。

 

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私は

「映画『永遠の詩』でロバートが、囚われの身の王女を助ける王子を演じたことからも解るように、異常にナルシズムが強いだと人間だと思います。あのナルシズムの強さは病的・変質的ですね。そして、ナルシズムが強い人間は往々にして自己中心的ですが、ロバートはまさに自己中心な人間かと思います。

まぁ、ジミー・ペイジも自己中心な人物だとは思いますが、彼はドラッグでラリッてても聡明さを併せ持った人間だと思うので、周囲の機微を察知する力がある。人を纏める力がある。だから、バンドは77年までで9年間ももった訳で」

 

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と、私が話した後で、私はバーの天井を見上げて

「やはり、ロバートがバンド内で下克上を行っちまったのか・・・・・・」と、呟いた。

ところが下克上をどう英訳していいのか困った通訳の愚息の友人。それを何とかクリアー。そうしたら彼は

「まぁ、そう言うことだよ。ただ、先輩編集者・記者やメロディー・メーカーにいた友人から聞いた話だと、事態は一層深刻化していたらしいんだ。

ロバートはUSツアーから帰って暫し田舎暮らしをしながら、バンドをやめてソロ・シンガーになることも考えたようなんだが、何よりもLED ZEPPELINは、カネになる。

そうしたことから、バンドに戻る条件として長いギター・ソロやドラム・ソロをやめるようにピーター・グラントを介して、ジミーに打診したんだ。それでジミーはあっさりOKを出したものの、ボンゾが激怒してね。ピーターは少なからずロバートとボンゾの板挟みに遭ったんだよ。

そうして焦ったのがピーターだった。ロバートにバンドを辞められたなら、LED ZEPPELINは解散じゃないか。ピーター自身がカネに困る。ピーターも相当、ドラッグをやっていたようだしね。それでピーターが考えたことは、これまでのバンドについてジミー・ペイジ体制で行ってきたものを、これからはジミー&ロバートの両体制で行う、と言う折衷案だった。ところが、これにはロバートが喜んだものの、ジミー派のボンゾがまた激怒って具合さ。あと、これにはジョンジーも不快感を示したらしい。ジミーはどんな腹づもりっだんだろうな」

 

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私は

「日本の諺に、両雄並び立たず、船頭多くして船山に登る、と言うものがありますが、ジミーはラリッててもクレバーでしょうから、ピーターを再度手なずけてロバートを孤立させ、直ぐにバンドを自分の体制下に戻すことは出来たでしょうね」、と言った。但し、船頭多くして船山に登る、の意味を私が苦労して伝えた。本当に苦労した。

「でも、その折衷案は、案外、計算高いジミーが考えたんじゃないですか? あくまでもロバートをバンドに戻す為の方便で。マネージャーのピーターの案じゃない気がしますね」、と私が言った。すると彼は、「なるほどな」、と言った。

そして私は

「でも、結局は、ロバートの謀反の言葉がLED ZEPPELIN崩壊への事実上のスタートだったんですね」、と言った。そして彼は

「そう言うことだが、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』セッションは、ジミーが元通り完全に仕切っていたから、ロバートの出る幕はなかったようだ。

しかし、ロバートとボンゾの仲が険悪だったらしい。それで、そのまま『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』のレコーディングに入ったら、スウェーデンでボンゾが直ぐにホーム・シックになり酒を飲んだくれる有様。そのボンゾを毎夜、ジミーが遅くまで時間をかけてなだめてスタジオに遅れて連れてくる状態だったようだ。ボンゾは、もうジミーの言うことしか聞かなかったらしいから。その間、ピーターの後押しでロバートとジョンジーが曲づくりを行っていて、スタジオに着いたジミーは疲労からヘロインを服用して眠る日が続いたと聞いた」

と言った。私は、「え? ピーターの後押し・・・・・・?」、と私は小声で呟いた。すると彼は

「ああ、すまない、話の順を違えたかな。ロバートがレコーディング初日に、スタジオに現れないジミーとボンゾの隙をついてピーターに、こんな状態だったら俺はバンドを辞めるぞ、と言い放ったらしい」

と語った。私は、「その情報の出所は?」、と彼に訊いた。

「ジミーのギター・テクニシャンやジョンジーのローディー。ほら、ジョンジーは日本のYAMAHAシンセサイザーを使っただろう?」

私は(マジかよ・・・・・・。下克上だ。完全な下克上だ・・・・・)、と思い俯いた。

私は

「『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』のレコーディング中に、LED ZEPPELINは崩壊したんですね」、と言った。

 

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「しかし、ロンドン・パンクやニュー・ウエイブを盛り上げていたNME誌、反・LED ZEPPELIN的なNME誌の人たちがよくLED ZEPPELINの動きをチェックしていたものですね」、と私が言った。すると彼は

「そりゃ、パンクやニュー・ウエイブを盛り上げれば雑誌が売れるじゃないか。そうなると、反・LED ZEPPELIN的なことを書けば、更に雑誌が売れるじゃないか。でもNMEにもけっこうLED ZEPPELINのファンがいたんだよ」、と。

続いて彼は

「1980年の春頃、秋にLED ZEPPELINが全米ツアーを行う、との情報をキャッチしたメロディー・メーカーがジミー・ペイジのインタビューを行おう、としたんだがダメだったらしい。それで、メローディー・メーカーの者がジミーの側近から入手した話だと、『イン・スルー・ジ・アウト・ドア』をジミーが自分が仕切れなかった悔しさから、側近の医師からヘロインやコカインとぶつからない合成麻薬とでも言うべきハード・ドラッグを処方され、それの中毒にも陥っていたらしいんだ」、そう語った。

 

(ロバートの謀反に加えて、ジミーの底なしの薬物問題・・・・・・。80年初夏の小規模・欧州ツアーでのジミーのギター・プレイの余りの無惨さは、その合成麻薬とかの中毒まで重なったからか)