ロック・ミュージシャンを目指す”純粋な日本人”の若者よ、諦めなさい

今日からブログの内容を音楽・ギター・オーディオだけではなく、もっと幅をもたせることにした。様々なものを取り扱う。

 

日本人にも「良い日本人」「悪い日本人」「普通の日本人」がいる。すなわち、在日にも「良い在日」「悪い在日」「普通の在日」がいる。

しかし、私は、1988年のソウル・オリンピックの頃から、韓国の日本に対する何でもアリの態度に心底ムカツキ、そのムカツキ度は年々右肩上がりに上昇し、先日の徴用工判決にはもうぶち切れた!

私は、もう日本は韓国と国交断絶をすべきだと思う。

それでなくても、02年のサッカー、日韓W杯における韓国の審判買収には心底、むかついたものだ。

ただ、日韓W杯は、日本の著名人で誰が「在日」であるかの踏み絵になった。「在日」は、韓国の躍進(デタラメの躍進であることは論を待たないが)を賞賛したり、韓国を応援に韓国に行ったりしたのだから。

こうなってくると、私は、私がファンである著名人が在日であった場合、妙にもの悲しくなる・・・・・・。

さて、タイトルの、『ロック・ミュージシャンを目指す”純粋な日本人”の若者よ、諦めなさい』、であるが、在日は「差別をされている」とよく言うが、芸能界は日本人が差別されているのだ。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181117080817j:plain

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181117080845j:plain

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181117080921j:plain

 

全然ではないが、ロック・ミュージシャンも在日か帰化人しかなれないのが現実なのだ。在日か帰化人は本当に「それ」を武器としてプロのロック・ミュージシャンになっているのが現実だ。純粋な日本人がプロのロック・ミュージシャンになるにことは、余りにも狭き門なのだ。

 

純粋な日本人の若者には、学校を出た後、アルバイトをして食いつなぎ、プロを目指し、一般人とは異なった人生を歩んでいる人が少なくないであろう。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181117081056j:plainf:id:JBL-JIMMYPAGE:20181117081122j:plain

 

されど、ロック・ミュージシャンとは言え、プロになるには(大手レコード会社からCDを出して、プロダクションに売り出してもらうとかだが)芸能界入りする必要がある。

だが、芸能界に入れるのは、ほとんどが在日か帰化人なのだ。

筆者には業界人(←純粋な日本人)の友人がおり、いろいろ話を聞いているが、まさにその通りなのだ。その友人とて、純粋な日本人であるが故に若いうちに出世コースから外されてしまった。私の友人は、先の猛暑のなかを営業で飛び回っていた・・・・・・。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181117081332j:plain

 

まさに、こんな図なのである。

 

ともかく、若ければ人生のやり直しがきくのだから、潔く人生の軌道修正をした方が良い。

 

 

日本のロック業界(?)に巣くう悪を糾弾する!

私は前に、オーディオ記事でオーディオ評論家の詐欺師ぶりを書いた。

今日は日本のロック業界(?)に巣くう悪を糾弾する。

 

その前に、私が中学生の頃まで、バカな日本のロック評論家と言えば、福田一郎中村とうよう大貫憲章伊藤政則がその四天王であった訳だが(因みに、賢人・ロック評論家は渋谷陽一と森脇美貴夫、大森つね夫とされていた)・・・・・・。

 

その後、甲斐バンドマンセー甲斐よしひろの提灯持ちとして、コイツが急速に伸びてきた。上のバカ四天王を追い越す形で、低脳で肥満児、ウルトラ・メタボの

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181116154402j:plain

 

コイツ。

ワセホウ在学ながら、桑田佳祐エリック・クラプトンつながりなのか、初代サザン・オール・スターズ(?)のギタリストであったとされている。

あ、桑田佳祐甲斐よしひろ絡みなら、在日か!? 在日つながり。その可能性、大いにあり!!

もっとも、渋谷陽一大貫憲章伊藤政則にも在日の噂が後を絶たないが・・・・・・。

 

私は前に、エリック・クラプトン大好き人間はジミー・ペイジを嫌う者が多いし、その理由を記した。このウルトラ・メタボの低脳ロック評論家もまた然り。

2008年と記憶しているが、コイツがNHKのBS番組で

ジミー・ペイジはねぇ、大したことをしていないのに凄いことをやっているように聴かせるの」、などと、ヌケ・シャーシャーとほざいていた。『Good Times Bad Times』だったか『Commuincation Breakdown』だったかをして。

 

流石、初代サザン・オール・スターズ(?)のギタリスト・・・・・・・。

「私、まともにギター、弾けませんし、低脳なんです。知能が低いです。アホなんです」、と自らが言っているようだ。

 

先ず、1978年(昭和53年)までに、ZEPのデビュー・アルバムを聴いた者の多くがジミー・ペイジのギター・プレイについて

(すげーっ!)、となり、そしてデビュー・アルバムを含む全アルバムを繰り返して聴く内に

(何か、簡単そうだな、俺にも弾けそう・・・・・・)、となるのだ。

そして、エレキ・ギター初心者が『Good Times Bad Times』と『Commuincation Breakdown』のギター・ソロに手を出しても歯が立たず、痛い目に遭う、と言うのがお決まりだった訳だ。

その決定的なのが『天国』。筆者も筆者のギターの師匠も『天国』で返り討ちに遭った。

そう。聴き慣れてくるとジミー・ペイジのギター・プレイは、凄いことをやっているようには思わないのだ。これが、普通。

されど、ロックのアルバムをアメリカ発売順に聴いていけば判る。1969年2月の時点では『Good Times Bad Times』と『Commuincation Breakdown』のギター・ソロは極めて斬新なプレイだったのだ。

前に、仲井戸麗市(Chabo)さんがホストを務めたトーク番組にCharがゲストで出た際に、CharがZEPのデビュー・アルバムを初めて聴いたくだりで、Chaboさんが

ジミー・ペイジのギターはどうだったの?」、とCharに訊いたら、Charは

「凄いと思ったよ」、と語った。

あのCharが凄い、と思ったんだから1969年6月(←日本発売)の時点では凄かったの! Char以上に達者なロック・ギターを弾けるようになったら言え! この低脳が!

 

あと、おめーよ~、甲斐よしひろ

「大森信和さんって、お約束のギター・ソロしか弾けませんでしたね」、と言ってみろ。甲斐に殴られること間違いなし(笑)。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181116170218j:plain

 

YouTubeでコイツがベンチャーズをたどたどしく弾いている動画があるが、コイツのフィガリングを見れば、コイツが『Good Times Bad Times』と『Commuincation Breakdown』のギター・ソロも全く完コピできないレベルだというのが、簡単に判る。流石、初代サザン・オール・スターズ(?)のギタリスト・・・・・・・。

 

おめーよ~。ウルトラ・メタボの腹の上にテレキャスって様にならねーから、ダイエットしろよ。本当におめーは醜い人間だよ・・・・・・。

 

ところで

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181116171136j:plain

 

スピーカー、PMCのMB-1を3台使っているようだが、あと2台使って5chサラウンドしているのか?

PMC・MB-1、5台でマルチ・チャンネル・サラウンドって言ったら、部屋、20畳は必要だからな。

しかし、1セット(2台)で168万円だったかな? それは良いとして、91dbなんて低能率なゴミ・スピーカーを使っているあたり、オーディオも知らね~んだな。ギターだけじゃなく・・・・・・。

 

本当に低脳のバカでしかない、コイツは!

 

 

 

1977~1988年のジミー・ペイジ

数日前に筆者が海外旅行から帰国し、私のギターの師匠にお土産を届けに行った際、師匠が、1991年に買い、翻訳版が何故か出なかったジミー・ペイジの内幕を記した洋書(雑誌)の記事の切り抜きを見つけた、とかで、その切り抜きを拝借し、翻訳して読んでみた。

主に1975年、ZEPのUSツアーから1983年のロニーレイン・ベネフィットライブ・ツアーまでのジミー・ペイジについて記した記事だった。

 

1975年、LED ZEPPELINがUSツアーに出る直前にジミー・ペイジが左の薬指を骨折したのは有名な話。

プロモーター、ビル・グラハムとの間でツアー延期(ジミーが骨折の治療とリハビリに当たるので)の話も一応出たらしいのだが、ZEPのマネージャーであるピーター・グラントがUSツアーを日程通りに強行することにした。理由は、ビル・グラハムからツアー延期になったなら、違約金を課されることになったので。

ジミー・ペイジも楽観的に承諾したらしい。

 

嗚呼・・・・・。ここでジミー・ペイジ

「ピーター! なんじゃ、ワレッ! わしゃあ指の治療に当たるぞ! ビル・グラハムがなんぼのもんじゃいっ!」、と怒鳴ったなら最悪の事態を回避できたのに。

 

そしてUSツアーに出たZEP。しかし、ジミー・ペイジは骨折した左薬指が痛い。余りにも痛い。

それまでジミーは、ヘロインは適度に常用していたものの(ジミーはコカイン依存症だったらしい)、ヘロインには強力な鎮痛効果もあることから、瞬く間に重度のヘロイン依存症になったとのこと。指の痛みを抑えるのと快楽を求めて・・・・・。

そして、ヘロインで動かぬ身体を致死量ギリギリのコカインを酒と共に飲み、身体を動かせるようにし、ステージに上がっていた模様。

無論、ジミーの側近に医師がおり、その医師からオーバードーズにならないよう的確に純度99%以上の極上のヘロイン、コカインを処方されていたからジミーは死なずにすんだ。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115174810j:plain

 

それでもジミー・ペイジは、このツアーでNY・MSGやロングビーチ・アリーナで名演を残し、英国・アールズコートでも名演を残した。

 

だが、その後、アルバム、『プレゼンス』制作の前後、ジミーのヘロイン、コカイン依存症はとんでもない泥沼に陥った。

それは、鉄の結束を誇ったLED ZEPPELINの崩壊への歩みでもあった。

 

1977年4/1、ダラスを皮切りに、当時、前例のない大規模なUSツアーをZEPは敢行した。結果として、このUSツアー、未完ながら約130万人の聴衆を動員し、その動員記録は1981年のストーンズの全米ツアー(180万人動員)まで破られず、また、NY・MSG、6日間連続公演、LAフォーラム、6日間連続公演の大快挙も行った。

 

しかし、である。ジミー・ペイジは、もうヘロイン、コカインの為にボロボロだった。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115180223j:plain

 

コカインもだが、特にヘロインは末梢神経をも破壊してしまうことから、もうギターをまともに弾くことができなくなる。

ツアーに入る前からジミー・ペイジは、2~3時間毎に致死量ギリギリのヘロインを酒と共に飲んでいた。とんでもジャンキーだ。そしてヘロインで動かぬ身体を大量のコカインで動かす、という最悪の悪循環。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115181637j:plain

 

それでもZEPやジミー・ペイジは、4/27・クリーブラント、5/30・ランドーバー、6/10・NY・MSG、6/21・LA、6/25・LAと素晴らしい名演を残した。特に6/21・LAは、『Listen to This、Eddie』で有名な爆裂ZEPである。まあ、LA全公演は良かった、にしておく。

 

だが、このツアーの間にZEP内の人間関係が、ハード・ジャンキーのペイジ&アル中のボンゾ/素面のジョンジー&たまにしかコカインしてませんのロバートに分裂してしまったのだ。

 

このUSツアー、7/23にビル・グラハム側とボンゾの間にトラブルが生じ、さらにロバートの愛息が急死したことで、7/24をもって未完のまま終えることになった。

 

しかし、2~3時間毎に致死量ギリギリのヘロインって・・・・・。

医師から純度99%以上のものを処方されていたから死なずにすんだとは言え・・・・・。

 

因みに、ハード・ジャンキーと言えば

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115183853j:plain

 

知能が低いコイツが有名だが、筆者と筆者のギターの師匠は嘘っ八だと断定する。

コイツは『スティッキー~』の頃から泥沼のジャンキーになったと言われているが、『イグザイル~』リリース後の72年USツアー、73年欧州ツアーで、キャリア史上最もギターが弾けているのだ。この2つのツアーでのコイツは、リズム・ギタリストとして「上手い」、と言える程なのだ。

再度、記すが、コカインもだが、特にヘロインは末梢神経をも破壊してしまうことから、もうギターをまともに弾くことができなくなるのだ。

だが、「ハード・ジャンキー」であるはずのコイツは、キャリア史上最もギターが弾けているのだ。

頭が空っぽなコイツは、噂が一人歩きをし、アウトロー気分に浸り、商売人のミック・ジャガーがそれを売り物にしただけだと、断定する。

普通レベルの常用者であったに違いない。

 

このクズが・・・・・・。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115185318j:plain

 

「悪」を「バカ」に置き換え、牙突を喰らわしてー。

 

話が横に逸れたが、ジミー・ペイジの重度のドラッグ癖はその後も改善されることなく

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115185741j:plain

 

1979年のネブワース・ライブ(私の師匠が観に・聴きに行った)

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115185913j:plain

 

1980年の小規模な欧州ツアーを経て、ボンゾの死をもってZEPは解散。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115190100j:plain

 

1983年のロニーレイン・ベネフィットライブでもボロボロの姿を見せ、ボロボロのプレイを聴かせたが、その全米ツアーの途中で友人のジェフ・ベックからドラッグと縁を切るように諭され、このツアーを終えた後、やっとリハビリ施設に入ったジミー・ペイジ

しかし、エリック・クラプトンがそうであったように、ハード・ジャンキーから足を洗っても待っているのは、ハードなアル中。この時期、イギリスではまだアル中になることなく、ドラッグからクリーンになる方法が広まっていなかった。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115190935j:plain

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115191006j:plain

 

アル中で醜態を見せたジミー・ペイジ。アウトライダー・ツアーを終えて、アル中リハビリ施設に入りました。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115191621j:plain

 

ペイジ&プラントでの完全復活まで長かったです・・・・・・・・。

 

エレキ・ギターは、先ず、CharとEric Claptonに学ぼう

本日、2度目の投稿です。

 

私はよく知らないのですが、今、全米チャートを賑わせているのって、ギターに無縁なゴミだそうで?

アメリカに行ったら(イギリスでもそうでしたが)NY、LA等のラジオではうんざりするほどLED ZEPPELINがオンエアされていました。もう、勘弁して、というくらいに。

また、Gibson本社に行く為にナッシュビルに行ったら、ストリートではアコギでの弾き語りをする人々、広場ではバンドでエレキ・ギターをプレイする人々が多かったものです。

それで、エレキ・ギターをプレイする人々は、皆、ペンタの使い方が巧く、驚きました。敢えて名を秘す極東の島国のエレキ・ギター若者とは大違い(プロも入るな)。

そして、数名のエレキ・ギター奏者と話をしたら、(ギター・スクールに通っているものの)ペンタ修得の為に、エリック・クラプトンジェフ・ベックジミー・ペイジをみっちり研究しているらしいのです。第1期JBグループでのジェフやZEP(ペイジ)の場合、ペンタ一発と捉えてはコースアウトするのでは? という私の問いに、彼等・彼女たちは、スクールの講師がペンタのみでやりやすい様にスコアを書き直してくれる、と言いました。本当に、敢えて名を秘す極東の島国のエレキ・ギター講師とは大違い。

 

ナッシュビルのホテルで私は考えました。

 

アメリカ人は、皆が皆ではないだろうが、ペンタの使い方が巧く、ブルージーに、それでいてフィーリングだけだがフュージョンっぽさまで活かしている)、と。さらに私は

(あんまり師匠[私のギターの師匠]にも迷惑かけられんしな。独学で突破するしかない)、と。

 

そうなると、ペンタの使い方が正統派でリズム感も正統派なギタリストを研究するしかない、と思い、先ず頭に浮かんだのが当然

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115151325j:plain

 

エリック・クラプトン

 

あと

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115151422j:plain

 

Char。

 

エリック・クラプトンは前にも書いた様に、エレキ・ギターを学ぶ者なら必ず押さえておく必要があるギタリスト。

 

そして、Char。

とにかく、ペンタの使い方が滅茶苦茶、巧い! 日本にCharあり! 偉大!

Charと渡辺香津美さん、ペンタのみで勝負したら香津美さんが負けるであろうほどに、Charは巧い。

先に、私は、Charと交流があった人からCharがラリー・カールトンを完コピしたらしいことを書きましたが、曲はスティーリー・ダンの「キッド・シャールメイン」かも知れない、という話を聞きました。

Charは天才なところに大の練習好きだから、「キッド・シャールメイン」一発で、自分のギター・フレーズにフュージョンっぽさを加えることが可能だったのでしょう。

「キッド・シャールメイン」のスケールはともかく、Charのギター・プレイを研究するべきでしょう。

 

ブルース・ギタリストならいざ知らず、ロック・ギタリストで、正統派なペンタの学習教材になるギタリストって少ないんですよ。特に、1987、88年のバンド・ブーム以降に出てきた日本のギタリストどもは、ザコ。ゴミ。

 

ペンタをできるだけモノにしたい、使いこなせるようになりたい、最大の理由は自分のフレーズにブルージーさ(セクシーさ)を加えたいから。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115153903j:plain

 

Charさん、日本にいてくれてありがとうございます。勉強させて頂きます。

 

 

JIMMY PAGEとMILES DAVISの共通点

久々の投稿になります。今まで、北米、イギリス、イタリア、フランス、ドイツを旅してきました。私が前に海外に行ったのは、2011年に仕事で北米に行ったのが最後でしたので、7年ぶりの海外旅行でした。かなり有意義な旅でしたが、音楽、ギター、オーディオに関わることで仕入れてきた話をブログのテーマに沿って、随時、書いてみたいと思います。

 

それで今日は、ジミー・ペイジマイルス・デイヴィスの共通点について記します。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115122405j:plain

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115122518j:plain

 

先ず、マイルス・デイヴィスから記しますが、マイルスは『ウォーキン』『バグス・グルーヴ』『モダン・ジャズ・ジャイアンツ』、そしてプレスティッジに残したマラソン・セッション等々でのトランペット・プレイは、相当に巧いのです。

しかし、録音時期はマラソン・セッションの前になりますが、コロムビアとの契約第一弾となる『ラウンド・アバウト・ミッドナイト』からいきなりヘタウマになり、そのヘタウマ・プレイをその後、生涯を閉じるまで貫き通します。

マイルスはコロムビアに移籍するや、技巧をかなぐり捨てて、バンドのプロデューサーとして、才能を大きく開花させ、誰も到達し得ない境地へと自らの音楽を高めました。

 

一方、ジミー・ペイジですが、彼はギタリストとしての修業時代には練習の虫で、友人であるジェフ・ベックには及ばないものの、相当な技巧を培ったものと思います。

「ギター・バンド」LED ZEPPELINでは、ジミー・ペイジがギターでしか作曲できない音楽をこれ以上なく高い完成度で表現していましたが、何故、ZEPがそうなったかと言うと、ジミー・ペイジがギタリストとして優秀だったからです。

しかし、ジミー・ペイジはZEPのデビュー・アルバムか、はたまたヤード・バーズの頃からか判然としないのですが、そのどちらかの時期にギターの練習をすることを放棄しました。ジミー・ペイジは、ギタリストとして技巧派であることをやめたのです。

筆者の推測ですが、友人のジェフ・ベックのプレイを間近に聴いていて、クラプトンが参加したブルース・ブレイカーズを聴いて、そしてジミ・ヘンドリックスのデビュー・アルバムを聴いて、ジミー・ペイジは技巧派であることをやめたのではないしょうか。

(こいつらには、どうあがいたって敵わねー)、的なノリで。

そうは言っても、1973年(1972年?)までのジミー・ペイジには、彼特有の語られるべきギター・テクがあったことは前に書いた通りです。

そのジミー・ペイジ、アルバム制作のプロデューサーとして自分に非凡な才能があったことを自覚していたに相違ありません。彼は、プロデューサーとしてもさることながら、プロデューサー的視点から楽曲創りを行い、技巧派であることをかなぐり捨てても優秀なギタリストであったからこそ、LED ZEPPELINもまた前人未踏の境地に達する音楽を創造し得たのです。

 

そうなるとジミー・ペイジマイルス・デイヴィスの共通点とは、技巧をかなぐり捨てて、プロデューサーとしての道を歩んだから、音楽的に(商業的にも)大成功を収めたのだとなります。

 

そうしたら、何故、技巧をかなぐり捨てて、音楽的に成功するんじゃい? と誰もが思いますよね。

 

筆者は、先にニューヨークに行き、1950年代のジャズ・シーンを覚えている高齢者数人から話を聞くことができました。

50年代はまだまだ黒人たちが強力な差別にあったことから、ジャズ・ミュージシャンになって食べていくことを夢見る、楽器演奏に長けた黒人たちが多数いたのだそうです。

それで、我々が今もレコードやCDで聴いている50年代のジャズ・ジャイアンツは、上記の一握りの者たちだったそうです。

そして、私はふと思ったのです。ジャズ・シーン(歴史)を紐解いてみれば、例えば白人ですがラリー・コリエルアラン・ホールズワースの様に自らのテクニックに酔いしれて、肝心の音楽の出来は二の次のような者も多いことを。

ロックだってそうです。エドワード・ヴァン・ヘイレンイングヴェイ・マルムスティーンなんて、それこそ自らのテクニックに酔いしれて、肝心の音楽はゴミ以下だと、そう言う者が後を絶ちません。

 

私は目下、ギターの修行中ですが、難易度の高いフレーズをものにした際には有頂天になってしまいます。

これが、楽器の怖いところでもあります。

楽器というものは、修行をしていく過程で知らず知らずの内に、テクニック至上主義に陥ってしまい、気がついた時には、音楽をクリエイトする能力を阻んでしまうものなのです。

クラシック音楽の様に再現芸術であるものはまだ救われますが、ジャズやポピュラー音楽の様に、自らもコンポーザーであることを要求される音楽では、楽器修得の過程でクリエイターとしての力も養っておかないとならないのです。

その理由。アメリカの複数の脳科学者が異口同音に語っていました。

人間の脳とは不思議なもので、楽器修得を一定レベルで修め、技術がその人間の限界まで確立された時点で、脳が技術至上主義に陥ってしまい、新たな音楽をクリエイトする力を失わせてしまうのだそうです。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115134119j:plain

 

現代(いま)なら音楽ジャンルを問わず、技巧とクリエイターとして高い極みにあるギタリストは、ジェフ・ベックだけでしょう。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20181115134610j:plain

 

それはさておき、ジミー・ペイジマイルス・デイヴィスも技巧派であることをかなぐり捨てたからこそ、それぞれが音楽的に高い境地に達し得た最大の理由なのです。

 

 

 

 

 

嗚呼! ギターの道は遙か遠く、険し・・・・・・

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20180924220912j:plain

 

去る9/19に師匠にギターを教わった際のことである。私は、かなり落ち込む事実に遭遇した。

 

私の師匠は、私の1つ年上で、音楽の面で私と同じような原体験をもち、音楽において、本当に意見が一致する友人でもある。オーディオ愛好家であることも一緒。師匠はギター・プレイに秀でていて、ジャズ/フュージョン・ギターまでとんでもなく見事なプレイをするが、以前は、LED ZEPPELINをプレイするバンド等々を行っていた。ただ、師匠、今、生きているのが不思議なくらいの大病を患い、バンド活動を休止し、某市でジャズ・ギター等の講師をしている。あとは、お互いにYes・Noをはっきりと言う人間であることが、共通点か。私と師匠の大きな違いは、師匠が4つのグループ企業の会長職を務めている、と言う点。

 

その師匠、私のこのブログをニヤニヤしながら、読んでいたらしい。

 

それで、9/19のギター・レッスン後のことである。私は師匠の英国人の奥様が炒れて下さった紅茶を飲みながら、師匠と雑談を交わしていた。そして、師匠が

 

「まぁ、ロックについては、お前が書いたZEPP論、Jimmy・Page論、BEATLES論、Eric・Clapton論、STONES論とか正解だよな。よく、この日本では、お互いの異なる意見を尊重しましょう、なんてバカ丸出しの日本人大好きファジーな言葉で丸めようとするが、この世に真理なんて、何事においても1つしかねーんだよ。バカは自分をバカと認めたが最後、The・Endだから、ファジーさを好む、この日本じゃな。欧米に行ったらファジーさなんて全く通用しねーのによ。だから、日本人は外交が下手くそだったりするんだが」

と言う言葉を師匠が言った。

 

その前に、ギターに関し、私はほんの一時期だったが、師匠の前に或る1人の門下生となった経緯があった。

 

「そいつはギターにおいて、お前にかなりの素養があることを判っていたんだよな。ただ、問題は、そこだ。そいつがお前のプレイを認めていた点だよ」

私は、師匠の言葉に目を白黒とさせた。

 

「今日は、“Everyday I Have The Blues”のアドリブを弾かせた訳だが、手癖に準じたお前のプレイはメロディックなんだよな。そのメロディックさと言う点を、そいつは評価していた訳だ」

私は、師匠の言葉に、(あっ!)、となった。

そう。私がアドリブを弾こうものならば、私の手癖が伴い、妙にメロディックになってしまう。

私は、それがイヤでイヤでたまらない。

 

「お前がブログで書いていた通り、メロディックなのが日本人好みなんだよ。それはさておき、俺もだが、お前も、思いっきりビートな人間な訳(笑)。ビートな人間は、メロディックさを毛嫌いするのは判るよな? ビートの塊であるジャズのファンに、リッチー・ブラックモアとかが好きだった人間は、ほぼ皆無な訳だ。良いとこ、Claptponなら許せるって感じ」

私は、師匠の言葉に顔が青ざめていくのを自覚した。

 

「そいつ(前の師匠、・・・・・・師匠って言えるのかな?)は“天国”のギター・ソロをなぞって、滅茶苦茶弾いてんな、と言った訳だろう? 滅茶苦茶に弾いて音楽として形にするのって、達人芸なんだよ。Jimmy・Pageは、まさに達人芸の持ち主なんだよ。だから、欧米では、天才ギタリストとして評価が高い。Jimmyと同世代のギタリストの誰がJimmyを下手くそだって言った? いねーだろ? Jimmyのことを一方的に嫌っているEricだって言わない。ジャズの世界で、例えばフリー・ジャズ時代の連中、もしくは走った連中って、天才ばかりだろう?

Jeff・Beckには、多少のメロディックさが入るが、基本、滅茶苦茶な訳さ。jimi Hendrixもそう。

基本、滅茶苦茶に弾いて、音楽として形にするには、飛び抜けた音感が必要なんだ。この音感ってのは、絶対音感とは異なる音感ね。

正確に言えば、滅茶苦茶に弾いている訳じゃなく、飛び抜けた音感があるからこそ、ビートにノッて滅茶苦茶に聞こえるプレイをして、音楽として形にしているんだよ」

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20180924232809j:plain

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20180924233059j:plain

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20180924233340j:plain

 

「それで、俺も日本人ロック・ギタリストなら、NO1にCharを挙げるけれども、Charの場合、日本人特有のメロディック好きさが半分くらい入っているところが、Charの特徴でもあり、限界でもあるんだ。Charの場合、滅茶苦茶に弾いて音楽として形にすることができないんだな。音感がJimmyとかに及ばない訳。

フィールドはジャズ/フュージョンが主になるけれども、渡辺香津美さんもそうなんだよ。

だから、Charにしても香津美さんにしても、物凄いテクニックを有していながら、本当の意味で、海外で通用しないんだ」

 

私は、師匠の言葉に俯き加減になった。

 

「それで、お前も俺も、ジャズ・キチが被さってしまっているから、アドリブでZEPPの“幻惑”のライブverの様なプレイができるようになりたがっているのさ」

 

私は、師匠の言葉に、完全に俯いてしまった。

 

「ギターってのは、ハンパな道じゃないよ。Jimmy、Jeffクラスを目指そうものならば、先ずはCharや香津美さん以上にならなきゃならないんだから」

 

私は、ギターの道は遙か遠く、険しいことを痛感した。

 

 

 

 

天才、グレース・マーヤ! だけど、一言

2007年の早い時期であったと思う。私は、東京のオーディオ店で他の客がスピーカー選びをするのを見ていて、その客が試聴用に用いたCDを聴いて驚いた。

アメリカで物凄い女性ジャズ・シンガーが現れたんだな)、そう思った。

ところが、そのCD、何と日本人女性ジャズ・シンガー兼ピアニストであるグレース・マーヤという人のものらしい。

私は、驚いて、CD、『ルック・オブ・ラブ』を買って帰り、家でCDを聴いた。

即座に私は、(天才の登場だ!)、と思った。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20180917202543j:plain

(女王様ルックがすごいね・・・・・)

 

そして、本来、ミュージシャンの本当の力量を知るにはライブに触れるべきだが、程なくして、『ラスト・ライブ・アット・DUG』が出た。

DUGは、私の青春の聖地である。DUGで意気投合したおネーチャンと激しいセックスしたり。あ、これでは性地か。ともかく私は、DUGの閉店を惜しみつつ、そのCDを聴いたら、いや~、ハンパなかったっす。マーヤさんのボーカルとピアノ・プレイ。

 

そして、全国のオーディオ店でグレース・マーヤのCDが販売され(SACDとのハイブリット盤、というのが大きかった)、グレース・マーヤ・ブームが生じた。

私は都合、4度、東京でのグレース・マーヤのライブに行こうとしたのだが、チケットがソールド・アウト。悔しかった・・・・・・。

その後、グレース・マーヤはソウルに接近した『ジャスト・ザ・トゥ・オブ・アス』、お約束のボサノバ『イパネマの娘』を出し、ファンを喜ばせていた。

 

ところが、マーヤ嬢、いろいろあったようで、2011年には東京でのチケットを取りやすくなっており、5月だったと思うが、お茶の水NARUで私は晴れてグレース・マーヤのライブに触れることができた。

ただ、私は驚いた。

あれほどスイング感たっぷりでギンギンなジャズをプレイしていたグレース・マーヤが、ブルースをプレイしていたからだ。

 

(゜゜)?   (。。)?  (゜゜)?  (。。)?

 

だが、素晴らしいライブだった。グレース・マーヤのボーカルもピアノ・プレイも素晴らしかった。

 

そして、その年の9月か10月に、ブルースアレイ・ジャパンでのマーヤのライブに行った。ドラマーは村上ポンタ秀一

や、この時もブルースのライブだったのだが、ラストのブルース(ゴスペル?)・バージョンの「イマジン」には、舌を巻いた。目を閉じると、黒人女性シンガーが歌い、ピアノを弾いているかのように思われたのだ。

エリック・クラプトン、反省して、もっとギターを練習しろ)、と思ったほどにすごかったのだ。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20180917205639j:plain

 

そして、久々にアルバム『ポイシアンナ』が発売されたが、ブルース・アルバムだったのだ。

 

その後、2012年12月に隣の県の市と私が住む市で、グレース・マーヤのクリスマス・ライブが行われ、私は、その双方に行った。

双方でブルース・バージョンの「ハッピー・クリスマス」をプレイしてくれたが、白眉のできで、私は大感激。また、私はあろうことかFBで友達になっていてくれているマーヤさんに「サニー」をリクエストしていたのだが、私の市でプレイしてくれ、本当に嬉しかった。

 

グレース・マーヤは、本当に天才だ。その歌唱力もさることながら、ピアノ・プレイがすごい。彼女の手にかかるとありきたりのピアノが、マルタ・アルゲリッチ様ご愛用のスタインウェイの音に変わってしまう。音がキラキラと輝くのだ。

 

そして、私はマーヤさんと少々お話をしたのだが、ブルースに心惹かれてプロになったとのこと。なるほど、と納得した私。

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20180917211909j:plain

 

マーヤさんは、2015年にもバレンタイン・ライブで我が街に来てくれ、2016年の春にも来てくれ、素晴らしいボーカルとピアノ・プレイを披露してくれた。後者では、インスト&ブルースの「さくら」~「マイ・フェイバリット・シングス」のピアノ・プレイが本当に素晴らしかった。揺るぎない真の天才のプレイだった。

 

ただ、私はマーヤさんに一言、申し上げたい。いや、二言か。

レコーディングにおいて歌に専念したいのは解るが、ファンはマーヤさんの神業のピアノ・プレイも期待しているのだから、ピアノもプレイしてほしい。

次に、お願いだからマーヤさん! また、ギンギンにスイングしたジャズもやって下さい!

 

f:id:JBL-JIMMYPAGE:20180917212858j:plain

・・・・・・・・・・( ̄人 ̄)・・・・・・・・・

(神様、仏様、マーヤ様)